井原西鶴が描き出す武士道の物語

 

武士

という言葉を私たち日本人、

ことに男性は好みます。

今や世界が憧れる

SAMURAI

元禄の文人井原西鶴流の「武士道」と「義理」の物語。

見てまいりましょう。

 

武士と徳とは?

井原西鶴
出典:Wikipedia

武士の興りは平安時代前期ごろと言われます。

元々は割と自由な「地方」でその武力や政治力を背景に”親分”のようなことをやっていたり、

「朝廷」の手となり、足となって、せっせと働いたり、

しておりました。

しかし、12世紀末に鎌倉に武家政権が発足します。

そして間もなく、

1232年
御成敗式目
が制定され、

幕府から
「徳治」

が奨励(しょうれい)されます。

つまり、
君たちもう今までとちがって人の上に立つ者なんだから

ケンカだけ強くちゃ意味がないよ。

「人がら」「行い」をちゃんとしてくれないと、

あんたも幕府もみんな終わりだよ、

いい?

言うこと聞かないとわかってるよね?

ということです。

幸い、
時代とともにそういった思想は世にだんだんと浸透していきました。

ただ、
乱世となると、
やっぱり荒れることもしばしばありました。

知る人ぞ知る!
あの戦国越前朝倉家のスーパークローザー

朝倉宗滴(そうてき。メチャメチャ戦が強くて、どこかで物騒なことが起こっても彼が出てくればひと安心!)

などは、

みずからの戦陣訓に

「武士というものは、

犬と言われても、

畜生と言われても、

勝たないと意味がない

とまで記しております。

 

武断から文治へ

さて、全国が江戸幕府によって統一され、

次第に戦乱の世が遠のいてくると、

また、世相が変わってまいります。

徳川4代家綱、5代綱吉などは武断政治から文治政治へとカジをドンドン切ってまいりました。

もう、武をひけらかして、
傾奇(かぶき。ヤンチャすること)や、
ケンカや、
辻斬りや、
強盗や、
そんなことはやめよう。

真の武士たるもの
節度を知り
節度を守る
ことにその本分をまっとうしよう!

井原西鶴が現われたのはそんな時代です。

彼も刀がふれ合っただけでのむやみな殺し合い
などには露骨に白い目を向けております。

そして、
彼の説くのが、

義理

です。

西鶴文学には、

武家もの

というジャンルが確立されており、

『武道伝来記』
『武家義理物語』
『新可笑記』

といった作品を書いております。

その中の説話のいくつかを紹介し、

彼の説く

「義理」

とはどういうものかというのを吟味してまいりましょう。

 

明智光秀の嫁取り

明智光秀が結婚しようとした女性が疱瘡(天然痘)にかかって顔にあばたが残ってしまいました。

その女性は
これでは嫁に行けぬ
と密かに妹を身代わりとして嫁に行かせることとしました。

しかし、光秀は初夜に気づいてしまいます。

妹はしかたなく事実を打ち明け、
「あなたの心は姉上にあるのですね。私はもう女の道をまっとうできませんから尼になります」
と、言いはります。

そこで、
光秀は、

妹には
「あっぱれな心がけの娘」
と手紙に書き付けて実家に帰し、

替わりに姉を妻にめとり、

その後、
夫婦で”色”よりも”軍略”でたがいに助け合い、

いよいよとその武を世に明らかにしていった、

ということです。
(※明智光秀と言えば、仲むつまじい夫婦愛で知られております。光秀の妻が死病におちいった時、光秀自身必死に看病したらしいことは公家の日記に実際書かれております)

 

 

医者になった男への仇討ち(あだうち)

徳島藩に島川太兵衛という武士がおりました。

ある日、太兵衛は決闘をし、人を殺してしまいます。

その後、
藩のお勤めを辞め、

お医者さんになるのですが、

藩外から
「どうしても見てほしい」
という患者さんが現われます。

これは危険です。

なぜなら
藩外に出ると、いつ仇討ち(身内を殺されたら、その仕返しに決闘を申しこむことができる)を申しこまれるかわかりません。

それでも、太兵衛は藩外へと出てゆきます。

そして、町を歩いていると、案の定です。

あの時殺してしまった男の息子に因縁を付けられてしまいます。

が、
太兵衛は快く受け、正々堂々と戦い、討たれたそうです。

 

自分の息子を身代わりに

荒木村重には神崎式部という家来がおりました。

神崎は増水した川を家来ともども強引にわたり、その中にいた大事な家来の息子をおぼれ死にさせてしまいます。

神崎は申し訳なさのあまり、自分の息子に

「示しとして死んでくれ」

と頼みます。

すると本当に、彼はその場で入水してしまいました。

神崎は世の中がむなしくなり、出家してしまったといいます。

 

きょうのまとめ

大変な葛藤と矛盾を抱えていますが、

本当に不思議で妙なる美しさを持った人々です。

① 井原西鶴が紹介する武士道とは、外見にこだわらず、中身で選ぶことができる

② 井原西鶴が紹介する武士道とは、道理のためなら命をなげうつこともできる

③ 井原西鶴が紹介する武士道とは、この世のはかなさとともにある

わたしたちの中にもいるであろう武士は、

今どのように生き、

未来にはどのようになってゆくのでしょうか。

 
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