井原西鶴とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

井原西鶴いはらさいかくの作品を見て

すごいな

と思うのは、

その一貫性のなさです。

自分は芸人まっしぐらで生きているのに、

ある作品では

「芸にのめりこみすぎるなよ!」

と、思いっきり上から目線で釘(くぎ)を刺しています。

「とにかく、カネ!カネ!カネ!」

とくどいているかと思えば、

武士には物欲を度外視した義理を推奨しています。

また、
「町人たるもの、おやじのカネじゃなくて自分で稼がなくちゃ!」

などとご強弁(きょうべん。強気な物言いのこと)を垂(た)れてるかと思えば、最後に

「おやじ譲りのカネがないと、とてもお金持ちにはなれないね」

だって。

・・・、
なんじゃこれ!?

と思われる方も少なくないのじゃないでしょうか。

しかし、これって逆に言うと、
ある意味なんにでもなろうとしているんじゃないでしょうか。

実際、
西鶴作品を見開くと、
今そこにあるような生々しさによく驚かされます。

女好きには女好きの、

商人には商人の、

武士には武士の、

貧乏人には貧乏人の、

それぞれの
生い立ちがあり、

環境があり、

心があります。

しかし、西鶴は紙の中でそれら何ものにでもなるために、
自分自身何ものにも実際ならなかったのが、
かえって好都合だったのかもしれません。

無類の女好きにも、

商人にも、

武士にも、

長屋の貧乏人にも、

職業俳人ですらはなはだ怪しいものです。

さらに、
職業作家

というもの自体も西鶴の時代ものすごくあやふやなものでした(西鶴以前でそれを正業にしているのを聞いたことがございません)。

そして西鶴自身
たんに創作作家というよりはどこか記者のような……。

事実をありのままに伝えるために
「自分」というものを一切押し殺す。

その「非情」があまりに透きとおっていて、
私にはそら恐ろしさすらおぼえます。

さて、
今回はそんなものすごく謎めいた男の人生をふり返ってまいりましょう。

 

井原西鶴はどんな人?

プロフィール

井原西鶴
出典:Wikipedia

  • 出身地:大坂?(今の大阪市)
  • 生年月日:1642年
  • 死亡年月日:1693年(享年51才)
  • 江戸時代前期の浮世草子作家・俳人

 

井原西鶴の年表

1642年(0才)井原西鶴生まれる

1682年(40才)『好色一代男』が刊行される

1684年(42才)井原西鶴、住吉大社で『大矢数』を興行し、1日で23500句の独吟を達成

1688年(46才)『日本永代蔵』が刊行される

1692年(50才)『世間胸算用』が刊行される

1693年(51才)井原西鶴亡くなる

 

浪花の夢

井原西鶴の生まれた地ははっきりとわかっておりません。

大坂の裕福な町人の息子なのではないか、

と言われております。

やがて若くして俳諧を志し、

見る見る頭角を現してゆくと、

次第に
『万句俳諧』と称して、

日にたくさんの句を独吟し、

お客をいっぱい呼び込む、

という興行をエスカレートさせてゆきます。

そんな最中、
ただ一人の愛妻を若くして亡くし、

彼女との2人の息子も早くによそへ養子に出したとされ、

最後に家に残っていた盲目の娘にも先立たれてしまいます。

合わせて読みたい
関連記事>>>>「井原西鶴と家族~歴史から見るいろんな父娘像~

 

時代の前人未到へとただ一人突き進む男

それでも、西鶴のバイタリティはまったくおとろえません。

いや、むしろ(奥さんが亡くなった時は追善供養として『独吟一日千句』興行)。

ある好色まみれ男の痛快な人生を描いた

『好色一代男』

が大評判となり、

作家の地位を確立。

さらに、俳諧では

『大矢数』

と号し、

前人未到の1日23500句の大記録を達成!

やがて、

金銭的成功のイロハを説いた

『日本永代蔵』

武士たるものの理想像を問うた

『武家義理物語』

お金をめぐる生々しい人間ドラマ

『世間胸算用』

などとそれまでの自身だけでなく世のジャンルにあき足らない新境地を次々と切り開いてゆきます。

 

浮世(うきよ)の使者

そして、数え52の年の秋。

「浮世の月 見過ごしにけり 末(すえ)二年」

と辞世の句を残し、

この巨星は亡くなりました。

やがて、時は移ろい、

この国の太平を支えてきた徳川が衰退し、

国中に戦乱の嵐が吹き荒れます。

こうして、
人々はいつ知れずその人の名と書き残していたものを忘れました。

しかし、
それからまた時が経ち、

明治という新たな秩序が訪れ、

文学界においても新芸術の旗手となって台頭してきた者たちによって
それらは再びひろいあげられます。

西鶴らの生きていた時代は、
平和で庶民たちに活気があふれていました。

そして、そんな時代のことを彼らはこう呼びました。

 

「浮世(※)」

(※)浮世とは元来「憂き世」、思うままにならないつらい世の中のことを言います。
しかし、西鶴らの時代には
「どうせ、この世に生きるのがつらいんなら。
思うままにぱあっとやってやろうよ」
という意味あいが濃くなってゆきました。

 

きょうのまとめ

元禄大坂の権化のような人です。

① 井原西鶴は若くして、多くの家族との別れを経験した

② 井原西鶴はかえってバイタリティ豊かに突き進み、世の文学の新境地をどんどん切り開いた

③ 大衆文学が華やぐ時は決まって、平和で庶民たちに活気がある

今も彼はどこからか眺めているかもしれません。

 

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