豊臣秀吉が天下統一を成し得た理由とは?!

 

戦国の世、数々の大名が勢力圏を持ち林立する中で、

最終的に天下統一を果たした豊臣秀吉

なぜ秀吉だったのか、、、考えれば考えるほど不思議に思えてきます。

絶大な力を持っている名門大名ではなく、元々武士の身分でもなかった秀吉が、

世の中を総攬するに至る要因はどこにあったのでしょうか。

 

他とは違う結果を導き出す思考と行動

並みいる有力大名をおさえ、天下統一を成し遂げていく秀吉の、

類い稀なる能力とはどのようなものだったのでしょう。

その思考と行動力に着目してみていきましょう。

身分と初志貫徹力

戦国時代を天下統一へと引っ張っていく三英傑
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康。

この3人のうち、信長と家康は大名の子として生まれ、
秀吉は下層の農民として生まれています。

信長は家督争い
家康は人質としての生活で苦労したとはいえ、生まれながらの武家。

秀吉の味わった辛苦は、
比較できる種類のものではありません。

戦国の世において、
大名同士が争うたびに農地が荒らされ住む場所を追われます。

そして戦乱に巻き込まれて
多数の死者を出すということが日常だったのです。

このような現実の中を生きる中で、

「どうにかして戦乱の世を終わらせられないものか」

と秀吉は常に考えるようになります。

それと同時に、
どんな状況下においても
「立てた志を貫き通す精神力」
が培われていったのでしょう。

他の大名が、
自分の有する勢力圏を守ることに囚われいたました。

それに対して
失うものが何もない秀吉は、
大きな視点で物事を捉え、
羽を広げて飛び立つことが出来たのではないでしょうか。

的確な判断力とスピード

物事を成就するのには、
実行のスピードが大きな要因となります。

しかも、そのスピードが的確な方向へ向けられていないと意味がありません。

秀吉の場合、
主君、織田信長が本能寺において明智光秀に弑逆されたときにそれが発揮されます。

中国地方へ遠征に出ていた秀吉は、有力な信長臣下を差し置いて、
わずか「10日以内」で京に駆け付けました。

そして、信長の仇討ちを果たします。

以後、時代の鬼才、
織田信長の偉業の後を継ぐものとして、
勇躍していくことになるのです。

道半ばとはいえ、
天下統一の基盤を作っていた信長の後を継ぐ機会を逃さなかった秀吉。

天下統一を成し遂げる
最も大きな要因だったといえるでしょう。

人心掌握術

辛苦を味わいながら人生を切り開いていった人物には、
他人の痛みがわかる人徳者が多く現れるものです。

出自において何も持たなかった秀吉が、
織田信長の心をとらえて抜擢されます。

その後、数々の優秀な人材を配下にして、
出世していく様は人徳による人心掌握の巧みさに他なりません。

何も持たないがゆえに、
自分一人では何もできないことが身に染み、
周囲への気遣いの大切さを知っていたことが大きいのではないでしょうか。

人と人を取り持つ名人と言われた、実弟「豊臣秀長」の存在も大きかったのですが、

天才軍師「竹中半兵衛」、「黒田官兵衛」のような
ブレーンを多く集めることができたのは、
秀吉の天下統一には欠かせなかったといえます。

きょうのまとめ

貧しい農民出身の豊臣秀吉が、

天下統一を成し遂げるまでになれた要因で、絶対不可欠だったものは、次の3つでしょう。

① 何もない身分出身だからこその強い意志力

② 最優先事項を的確にとらえる判断力と電光石火の行動力

③ 人に好かれる人徳で人心を掌握する才能

これらの才能を駆使して、秀吉は重要なポイントをおさえ、脅威的なスピードで天下統一を成し遂げていくのです。

 

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