ファーブルとはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

教師、研究者、詩人、などなど、

様々な顔を持ち多彩な能力を発揮していたフランスの生物学者、

ジャン=アンリ・ファーブル

なかでも彼の書いた『昆虫記』は日本でなじみの深い作品です。

様々な分野で活動していたファーブルとはどんな人物だったのでしょうか。

今回は彼の人生について、エピソードを交えながら紹介していきます。

 

ファーブルはどんな人?

プロフィール
ファーブル

出典:Wikipedia

  • 出身地:南フランス サン・レオン村
  • 生年月日:1823年12月21日
  • 死亡年月日:1915年年10月11日(享年 91歳)
  • 昆虫に関する行動研究の先駆者。『昆虫記』の著者。教師。詩人。学者。

 

ファーブル 年表

年表

西暦(年齢)

1823年(0歳)南仏ルーエルグ山地の村、サン・レオンに生まれる。

1826年(3歳)弟が生まれる。経済難により祖父母の元に預けられる。

1830年(7歳)両親と弟との4人で暮らせるようになる。 小学校入学。

1833年(10歳)ローデス市に移り住む。その後もあちこちを転々とする。

1838年(15歳)父親が事業に失敗し一家離散。 学校を中退。

1839年(16歳)アヴィニョンに滞在中、師範学校の奨学生入試に首席合格。

1842年(19歳)小学校上級教員免状取得。更に独学で数学、物理、化学を習得。

1849年(26歳)コルシカ島で中学物理教師になる。生物研究をする決意を抱く。

1855年(32歳)フシダカバチの研究を発表。実験生理学賞を受ける。

1861年(38歳)アカネの根から染料を取る研究に没頭する。

1868年(45歳)アヴィニョンの礼拝堂での講義に批判が挙がり、教職を失う。

1878年(55歳)『昆虫記』第1巻の発刊。

1879年(56歳)セリニアンに一軒家を買い移り住む。以後昆虫研究に没頭する。

1905年(82歳)『昆虫記』第10巻の発刊。

1915年(91歳)セリニアンの終の棲家、アルマスで息を引き取る。

 

学問への情熱

幼少期を自然豊かな村で過ごし、植物昆虫への興味をこの頃から抱いたファーブル。

あらゆるものに興味を示し、次第に学問への情熱が芽生え始めます。

少年時代にはラテン語やギリシャ語といった古典言語を、原語で読めるようになり、

小学校で優秀な成績を修めます。

父親のたび重なる事業の失敗で経済的に恵まれないなか、

肉体労働などでその日暮らしの生活を続けることになっても、独学で勉強を続けます。

アヴィニョンの師範学校に奨学生として入学した後も、

授業に退屈して校長に掛け合い、3年の課程を2年で修了。

残りの1年を博物学やラテン語の勉強にあて、それでも首席で卒業しています。

教師になった後も、彼は独学で様々な分野の学問をきわめていくのです。

とんでもない努力家ですね。そしてそれ以上に学問への人一倍の情熱が、

彼を突き動かしていたのでしょう。

 

生涯貧しかった?

訪れたピンチ

師範学校を卒業後、教師となり安定した暮らしを手に入れたかのように思われたファーブル。

しかし彼が45歳のとき、再び窮地に立たされます。

研究や教師を続け、アヴィニョンの町に戻った後、

彼は礼拝堂で市民向けの科学の講義を任されました。

そこでおこなった植物の繁殖についての講義が、神聖な礼拝堂にふさわしくない

という理由で批判を浴びることになったのです。

そして上からの圧力もあり、彼は教員生活に幕を閉じることになってしまいました。

職を失ったファーブルは別の町に移住し、家族を養うために文献の執筆を始めます。

専門的なものから生活に役立つものまで、様々なジャンルの本を書き続けました。

しかし思うように収入を得ることはできず、このとき人生で一度きりの借金をしています。

「ファーブルが困っている」といううわさ

その後も地道に執筆を続け、遂に『昆虫記』を出版したファーブル。

生きた昆虫の行動に注目した斬新な内容に、一気に注目が集まり彼はたちまち有名に・・・

とはならず、10巻まで出版した後も彼の知名度はそれほど高くなりませんでした。

しかし彼が87歳を迎える頃、友人や弟子、読者たちが彼の業績をたたえるための催しを開くと、

そこからファーブルの知名度は上がっていきます。

やっと有名になったファーブルですが、貧しかった頃の話が人々に出回り、

彼は今も貧困に困っていると思われ、各地から寄付金が寄せられるようになります。

ヨーロッパ全土に広まったファーブルを救えという運動はフランス大統領の耳にも届き、

ファーブルは年金と勲章を与えられました。

晩年になりやっと報われたファーブルですが、大統領から受け取ったもの以外、

集まった寄付金は全て送り主たちに返しています。

というのも、晩年のファーブルは決して貧しさに困っていたわけではなく、

それどころかアルマスと名付けた家には広大な庭が付いていて、

彼はそこで様々な植物を育て研究していました。

更にその家には使用人も雇っていたため、

寄付金を受け取るほど困っていたわけではなかったのです。

 

きょうのまとめ

今回はファーブルの人生についてご紹介しましたが、

いかがでしたでしょうか。

最後にファーブルについて簡単にまとめると

① 生きた昆虫を観察し、生態を発見する行動研究の先駆者。『昆虫記』の作者

② 学問への情熱が強く、あらゆる分野をきわめながら教師をしていた

③ 教会での植物の講義が原因で教師をクビになったが、晩年は寄付金をもらうほど貧しくはなかった

困難に見舞われながらも学ぶことや研究を諦めなかったファーブル。

彼の91年の生涯を辿っていくと、そこには常にたくましさが感じられます。

厳しい状況を何度も乗り越えたからこそ、後の昆虫博士が誕生したのです。

 










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