バッハとはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

17世紀~18世紀に流行したバロック音楽を集大成した人物、

ヨハン・セバスチャン・バッハ

西洋クラシック音楽の中でも、この時代を代表する人物として挙がるのは、

他にそう多くはいません。

彼の作曲した教会の讃美歌曲『主よ人の望みの喜びよ』や、

オルガン曲の『トッカータとフーガ』などは

クラシック音楽に詳しくない人でもどこかで1度は耳にしたことがあると思います。

今回はそんな彼がどんな人物だったのか見ていきましょう。

 

『主よ人の望みの喜びよ』

『トッカータとフーガ』

 

バッハはどんな人?

プロフィール
バッハ

出典:Wikipedia

  • 出身地:ドイツ中部の田舎町 アイゼナッハ
  • 生年月日:1685年
  • 死亡年月日:1750年7月28日(享年 65歳)
  • 音楽家。作曲家。宮廷楽師。演奏者。

 

バッハ 年表

年表

西暦(年齢)

1685年(0歳)ドイツ中部、アイゼナッハで音楽一家に生まれる。8人兄弟の末っ子。

1692年(7歳)ラテン語学校入学。家計を支えるため合唱団のアルバイトもこなす。

1695年(10歳)孤児になる。長兄に引き取られ、音楽の技術を身につけていく。

1700年(15歳)リューネブルクの教会で聖歌隊の給費生として勉強する。

1703年(18歳)ワイマールの宮廷楽団でヴァイオリニストになる。後にアルシュタットの教会でオルガニストとして就職。

1707年(22歳)ミュールハウゼンの聖ブラージウス教会でオルガニストに転任。又従妹のマリーア・バーバラと結婚。

1708年(23歳)ワイマールの宮廷楽団楽師に転任。

1710年(25歳)宮廷礼拝堂のオルガニストになる。オルガン曲の名作を次々と生み出し始める。長男誕生。

1714年(29歳)ワイマール宮廷の楽師長に任命される。次男誕生。

1717年(32歳)ケーテン宮廷の楽長に転任。

1720年(35歳)領主に付き添いカルルスパートに旅行。旅先で妻の死を知らされる。

1721年(36歳)宮廷のソプラノ歌手、アンナ・マグダレーナと再婚。

1723年(38歳)ケーテン宮廷楽長を辞め、ライプツィヒの聖トーマス教会合唱長に就く。

1736年(51歳)宮廷作曲家の称号を受ける。

1747年(62歳)フリードリヒ2世に招待され、長男と共に宮殿でオルガンやチェンバロの演奏を披露。

1749年(64歳)脳卒中を起こす。白内障も患い、視力の急速な低下。

1750年(65歳)手術に失敗し、完全に失明する。その後再び脳卒中を起こし逝去。

 

「音楽の父」と呼ばれるわけ

日本では、バッハといえば「音楽の父です」と授業のときに聞くことがあるこの言葉。

「へー、そうなんだー」と思ったはいいものの、

いまいちそれが何故なのか分からないままにしている人も多いはず。

簡単に言ってしまえば、バッハは現代に続く西洋のクラシック音楽の世界で、

その基礎部分をつくった人なんです。

ここで後世の人々によって名付けられた、クラシック音楽の時代区分を見てみましょう。

・ルネサンス音楽 15世紀~16世紀

・バロック音楽 17世紀~18世紀

・古典音楽 18世紀前半~19世紀前半

・ロマン派音楽 19世紀

・近現代音楽 19世紀末~

彼が生きていたのはバロック期の後半でした。

そもそも西洋クラシック音楽の始まりは古代にさかのぼり、

17世紀~19世紀の間に調性、形式、和声などといった様式が完成されました。

この時期に形成された音楽の規則性が、現代まで続くクラシック音楽の基本となっています。

そしてなかでもバッハは、バロック期の音楽をまとめた代表人物なのです。

彼がまとめたこの時期の規則性が、後の時代の音楽に影響を与え、

徐々に現代の形になっていったのです。

それを知ってからだと、彼が「音楽の父」と言われるのにも、

なるほど!と思えてきますね。

 

バッハの小話

ここでは「音楽の父」バッハの一面を2つご紹介します。

「子だくさんの父」でもあった

バッハは最初の妻を若くして亡くし、生涯に2度結婚しています。

そして合わせて20人の子供を授かりましたが、そのうち10人の子供を幼くして亡くしています。

残った子供たちは成人後に父と同じ音楽の道に進む者が多く、

なかでも長男はドレスデンの宮廷オルガニスト、次男はプロイセンの大王

フリードリヒ2世の宮廷チェンバロ奏者になっています。

視力回復の手術で失明

バッハは生まれつきあまり視力がよくなかったと言われています。

親戚のなかにも何人か同じような症状の人がいたため、

おそらくこれは彼の家系の遺伝的な原因が考えられます。

そして晩年には白内障を患い、務めていた音楽監督の仕事にも支障が出始めました。

焦った彼はなんとかして治そうと手術を試みましたが、それはいかにも怪しい手術で、

なんと麻酔なしで目の中に針を刺し、中のゴミを取り除くといったものでした。

その結果視力の回復どころか完全に失明してしまい、

更には後に脳卒中を起こし亡くなってしまいました。

 

きょうのまとめ

今回は「音楽の父」バッハについて、小話を交えながらご紹介しました。

意外な発見もあったのではないでしょうか。

簡単にまとめると

① バロック音楽を集大成し、クラシック音楽の基礎をつくった人物。

② 自身も音楽一家に生まれ、子供たちの多くも音楽の道に進んだ。

③ 生まれつき視力が弱く、晩年は白内障の手術に失敗して失明。脳卒中で亡くなった。

作曲家や演奏者、音楽家として宮廷や様々な所から引く手あまただったバッハ。

その最期は意外にも悲惨なものでしたが、生涯を通して音楽の中を駆け抜けた人でした。

 










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