藤原不比等たちが制定した大宝律令ってどんなもの?

 

7~9世紀頃の日本の国家体制を「律令国家」と呼ぶことがあります。

律令国家とは律令・格式きゃくしきという決まりによって、運営される国家のこと。

ということで、律令は国家のかたちをつくるものです。

古代日本に存在した律令の中でも、特に有名なのは藤原不比等が制定した大宝律令たいほうりつりょうと呼ばれるもの。

そこで今回は大宝律令とはどういったもので、どのようにつくられたのか、

簡単に紹介していきます。

 

大宝律令とは?

藤原不比等

出典:Wikipedia

大宝律令とは701年に成立した律令です。

律令は古代の中国にならって定められたもので、律と令に区分することができます。

律とは今でいうところの刑法、令は行政法・民法にあたります。

 

日本における律令の歴史

大宝律令は突然できたものではありません。

そこで簡単に、日本における律令の歴史を見てみましょう。

律令の歴史
  • 668年 近江令(中臣鎌足らが編纂したとされる令。完成・施行が疑問視されることもある。)完成
  • 689年 飛鳥浄御原令あすかきよみはらりょう(天武天皇の命でつくられ、持統天皇の治世に施行。飛鳥浄御原令で規定されて以来、大王おおきみを「天皇」と呼ぶようになったとみられています。)施行
  • 701年 大宝律令成立
  • 718年 養老律令(元正天皇のときに成立。およそ40年後、藤原仲麻呂によって施行された。)成立(757年施行)
  • 769年 刪定律令さんていりつりょう吉備真備きびのまきびらが制定。812年に廃止。養老律令の不備を改めたもの。)制定(791年施行)

上記を見ていただくとわかるとおり、大宝律令以前に存在したのは律のみです。

よって大宝律令は律と令がそろった、日本初の体系的法典といえます。

大宝律令は養老律令が施行されるまで、律令国家の基本法制として機能していました。

 

大宝律令の内容

さて、それでは大宝律令には何が書かれていたのでしょうか。

大宝律令は律6巻・令11巻の法典と伝わっていますが、

残念ながら本文は残っていません。

現存していない大宝律令の原文

ですがその後制定された養老律令の内容は、実は大宝律令と大差はなく、

さらにその注釈書『令集解りょうのしゅうげ』にも大宝律令は引用されていました。

現存はしていませんが、大宝律令のおおよその内容は今にも伝わっているのです。

有名な規定を紹介

それでは具体的な内容を見ていきましょう。

とはいえ、すべて紹介することは不可能なので、有名な規定を選んでみました。

有名な規定
  • 五刑:罪の重さによる刑罰を定めたもの(「じょう」の5つ)
  • 八虐はちぎゃく:特に重罪とされる犯罪を規定し、特別な取り扱いをした(謀反むへん謀大逆むたいぎゃく謀叛むほん・悪逆・不道・大不敬・不孝・不義の8つ)
  • 二官八省制:官僚機構を定めたもの(二官=神祇じんぎ官・太政官 八省=太政官の下に置かれた8つの機構。中務なかつかさ省・式部省・治部省・民部省・兵部ひょうぶ省・刑部ぎょうぶ省・大蔵省・宮内省)
  • 官位相当の制:位階(序列)に見合う官職に任命される制度
  • 蔭位おんいの制:高位者の子・孫は一定の位につける制度

などが規定されています。

 

藤原不比等たちはどのように編纂したのか?

それでは、大宝律令はどのようにしてつくられたのでしょうか。

大宝律令は文武天皇の命によって、編纂へんさんが開始されました。

編纂事業の総裁を務めたのは刑部おさかべ親王(天武天皇の子)でしたが、実質的なトップは藤原不比等でした。

他にも薩弘恪さっこうかく(唐出身の官僚)や田辺史たなべのふひと(渡来系氏族出身の人物)らもメンバーに加わり、19名による編纂作業が行われています。

さて、もとは中国の制度を真似たものなんだから、

編纂なんて簡単でしょ?

というのは大きな誤解です。

確かに刑法にあたる律は、唐の律をほぼ受け継いだものでした。

他方で行政法・民法にあたる令は、日本の国情を踏まえて改変されています。

一方、編纂者に都合の良いように変えたのでは? と思う点もあります。

上記で紹介した蔭位の制などは大織冠だいしょくかん(冠位の最上位。中臣鎌足が史上唯一与えられた。)を与えられた中臣鎌足の孫、

すなわち藤原不比等の子どもたちが、出世のスタート時点では無敵状態になるということになりますよね。

このように、5年ほどの時間をかけて編纂されたという大宝律令。

令は701年、律は702年に施行されました。

 

きょうのまとめ

今回は藤原不比等らが制定した大宝律令について、簡単に紹介しました。

① 古代中国に倣って、古代の日本でも律令が制定された

② 大宝律令は律と令がそろった日本初の体系的法典

③ 大宝律令は藤原不比等を中心として編纂された

④ 大宝律令には藤原氏有利と考えられる規定もあった

こちらのサイトでは他にも、藤原不比等にまつわる記事をわかりやすく書いています。

より理解を深めたい方は、ぜひお読みになってくださいね。

 
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