坂上田村麻呂が任命された征夷大将軍とはどういう存在?年号とともに紹介

 

「征夷大将軍」と聞いたら、誰を思い浮かべるでしょうか。

坂上田村麻呂?源頼朝?それとも徳川家康かもしれません。

それらの人物は同じ「征夷大将軍」だったのかもしれませんが、

ある時期を境にまったく違った存在になっていきました。

そこで今回は征夷大将軍とはどんな存在だったのか、簡単に紹介していきたいと思います。

 

征夷大将軍とは?

征夷大将軍は、古代と源頼朝以降ではまったく違うものです。

それぞれの時代ででどんな存在だったのか、見ていきましょう。

古代は蝦夷を討つため

「泣くな(797)坂上田村麻呂」と確か、年号を暗記した記憶があります。

坂上田村麻呂が征夷大将軍に任命された年ですね。

なので、私の中では坂上田村麻呂は泣き虫なのです……そんなことはどうでもいいですね。

臨時職だった

さて征夷大将軍とは、もともと蝦夷(えみし)征討のためにつくられた臨時職です。

蝦夷とは古代、主に東北地方に暮らし、中央政府の支配下になかった人々のことを指します。

そこで古代の中央政府は蝦夷の地に侵攻し、自分たちに従わせようとしていたのでした。

初代は大伴弟麻呂

そして古代の征夷大将軍はといえば、坂上田村麻呂ですよね。

あまりにも彼が有名すぎるため、初代と勘違いしている方もいるかもしれません。

ですが田村麻呂の前、794年に任命された大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)が初代です。

また811年には文室綿麻呂(ふんやのわたまろ)が任命されますが、

これを最後に古代の征夷大将軍の職は廃絶しました。

鎌倉時代以降は「武家の棟梁」に

「いい国(1192)つくろう鎌倉幕府」

かつては鎌倉幕府が開かれた年としてみんなが暗記した年号ですが、これは源頼朝が征夷大将軍に任命された年です。

木曾義仲が復活させる

文室綿麻呂で途絶えた征夷大将軍でしたが、1184年、木曾(源)義仲がこれに任命されます。

平家を破って京都に入った木曾義仲は、権威付けのために「征夷大将軍」の官名を望んだのです。

とはいえ、蝦夷の征討とは関係がありませんから、称号だけ復活したというわけですね。

源頼朝が征夷大将軍になりたかった理由

これに続き、征夷大将軍の地位を望んだのが源頼朝でした。

実は頼朝にはもっと良いポスト・右近衛大将が用意されていましたが、短期間で辞任しています。

 

それに代わり、頼朝が征夷大将軍を望んだ理由としては、

  • 東国に武家政権を開くため(右近衛大将は京にいなくてはいけない)
  • 奥州藤原氏を倒すための大義名分を得るため
  • 「大将軍」という称号を得るため

などが考えられているようです。

 

後白河法皇は征夷大将軍に頼朝を任命することに反対しましたが、法皇が没するとこれが実現。

そして頼朝任命以降、征夷大将軍は武家の棟梁(=統率者)を表す地位へと性格が変わっていったのでした。

 

きょうのまとめ

今回は征夷大将軍とはどういった存在だったのか、簡単にご紹介しました。

① 古代の征夷大将軍は蝦夷征討のために設けられた臨時職だった

② 古代は大伴弟麻呂に始まり、文室綿麻呂で廃絶した

③ 中世に入り、木曾義仲が称号だけ復活させた

④ 源頼朝以降の征夷大将軍は、武家の棟梁としての地位を表すものになった

こちらのサイトでは他にも、坂上田村麻呂にまつわる記事をわかりやすく書いています。

より理解を深めたい方は、ぜひお読みになってくださいね。

 

坂上田村麻呂の【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。

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