坂上田村麻呂のお墓の場所はどこ?武具を付けて立ったまま葬られたらしい

 

平安時代の武将・坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろ

811年、54歳でその生涯を閉じます。

坂上田村麻呂といえば蝦夷征討における功績が有名ですが、

死後の葬られ方も伝説的でした。

そこで今回は、坂上田村麻呂のお墓にまつわる逸話についてご紹介していきます。

 

死後も平安京の守護神であれ

坂上田村麻呂(菊池容斎『前賢故実』より)
出典:Wikipedia

坂上田村麻呂の死をいたみ、漢詩まで作った嵯峨さが天皇は、

甲冑や剣などをつけた姿で田村麻呂を棺に納めるように勅命を出しました。

さらに田村麻呂は平安京の東に、京に向かって立ったままで葬られたと伝えられています。

まさか立ち姿で埋葬されるとは……。

ですがこれには、

「死後も田村麻呂に平安京を守ってもらえるように」

とのことだそうです。

坂上田村麻呂が葬られたという塚は、国家の一大事があった時には大きな音がしたのだとか。

軍神はたとえ死んでも、ゆっくりと眠らせてもらえないのですね。

 

お墓の場所はどこ?

それでは、肝心の坂上田村麻呂のお墓はどこにあるのでしょうか。

実は意外にも、諸説あったのです。

坂ノ上田村麻呂公園の「将軍塚」

まずは京都、勧修寺東栗栖野町かんしゅうじひがしくりすのちょうにある「将軍塚」

坂ノ上田村麻呂公園の中にある、立派な墓所です。

明治時代、平安京遷都1100年祭のときに整備されたというので、

古くから坂上田村麻呂が埋葬された地として有名だったのでしょう。

先ほど書いた大きな音した塚は、この将軍塚のことです。

これを「將軍塚鳴動」と呼ぶそうですよ。

可能性が高い?西野山古墓

これに対して、京都市山科区の西野山古墓こぼという新説もあります。

西野山古墓は大正時代に発掘され、純金の装飾のある大刀や鉄のやじりなどが出土していました。

この時点で、埋められているのは武人っぽいですよね。

さらに清水寺(「清水の舞台から飛び降りる」でも有名な京都・清水寺は、坂上田村麻呂が創建したとされています。)

の資料に田村麻呂のお墓の位置が記録されていたのですが、それと西野山古墓の位置が一致したというのです。

西野山古墓のある場所も平安京の東の玄関口であったことから、この地に坂上田村麻呂が埋葬された可能性は高いと考えられているそうですよ。

 

きょうのまとめ

今回は坂上田村麻呂のお墓の場所と葬られ方について、

簡単にご紹介しました。

① 坂上田村麻呂は平安京を向いて、武具をつけた立ち姿で葬られたと伝えられている

② お墓は勧修寺東栗栖野町の「将軍塚」説と山科区の「西野山古墓」説の二つがある

こちらのサイトでは他にも、坂上田村麻呂にまつわる記事をわかりやすく書いています。

より理解を深めたい方は、ぜひお読みになってくださいね。

 
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