今川義元の居城 駿府城とは何処にあったのか?

 

今川家当主が代々居城としていた駿府城は、

いったい何処にあったのでしょうか?

桶狭間の戦い(1560年)での今川義元の死後に、何が起こったのかみていきましょう。

 

今川義元の居城 駿府城の歴史

武田信玄による、駿河攻めで焼失した駿府城(今川館)

は、今川義元の駿府城(今川館)は永禄11年(1568年)12月13日、

武田信玄による駿府侵攻によって残念ながら、焼失しています。

今川館は1399年に今川家第3代当主、

今川泰範により構築されました。

今川家第10代当主、今川氏真は父、義元が桶狭間の戦いで無念の死を遂げた後、

女戦国大名の異名を持つ氏真の祖母、寿桂尼(じゅけいに)と共に混乱した駿河の国の立て直しに躍起になっていました。

しかし、その寿桂尼も同年、3月24日に亡くなったあと、わずか9か月も経たないうちに、

甲斐の武田信玄が駿府に攻め込み、駿府城はおろか臨済寺、浅間神社も焼き払われ駿府の街はほとんど焼失してしまったのです。

武田信玄に駿府を占領された今川氏真は、命からがら脱出し重臣の朝比奈泰勝を頼り、遠江の掛川城に逃れました。

現在の駿府城

ある駿府城は天正13年 (1585年) に駿河国の領主となった徳川家康が、今川館跡に駿府城を新たに築城したものであり、

残念ながら今川時代の今川館を見ることはできません。

駿府城(別名 旧今川館)は、静岡県静岡市葵区、駿府城公園にあります。
   
安倍川の東岸の平野部に築かれた平城です。

典型的な輪郭式の城郭です。
(本丸を中心に、外側に内堀、二の丸、中堀、三の丸、外堀と構成されています。)

江戸時代に焼失してしまいましたが、5重7階(内部は7階建てで、外観は5重)の天守が存在していました。

交通:JR東海道線 静岡駅から徒歩、約15分です。

日本100名城のひとつです。

 

きょうのまとめ

駿府城は、今川館が焼失した跡に、

天正13年(1585年)徳川家康により新たに築城されたものでした。

残念ながら、今川義元が城主であった今川館は現在残ってはいませんが、

今川義元が活躍していた、昔の駿河国を懐かしみながら、

この地を散策してみるのもいいかもしれませんね。

 

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