今川義元はなぜ公家の装いをしていたのか?

 

今川家、第九代当主の

今川義元いまがわよしもと

今川義元は、戦国時代の武将であるにもかかわらず、

なぜか独特の麿風の化粧をして、公家の装いをしているイメージが強い人ですが、

本当はどのような方だったのでしょうか? 

早速みていきましょう。

 

もちろん今川義元も登場!?明智光秀が主役の「麒麟がくる」がはじまりますね。
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今川義元 公家の装い

公家の格好は、ステータス!?

今川義元の生きた室町時代は、戦国時代という下剋上の世の中でしたが、

一方で天皇公家という存在は、当時まだまだ大きなものでした。

応仁の乱後、

荒廃した京から逃れて来た公家や、将軍側近(北条早雲)等を今川義元は保護していた為、

そうした方々と交わる際、義元自身も公家の装いをしたり化粧をしていました。 

今川義元の時代、駿河はまるで小京都のような華やいだ街でした。

また当時の戦国時代においては、

・和歌を詠むなど教養があり、公家文化に精通している

・公家との人脈を持っている

などが、その家の格式が高いことの証明でもありました。

実際、今川義元の母、寿桂尼じゅけいには京の藤原北家の公家の出身でした。

今川義元は、若い時分に僧としても京で学んでいた為、公家文化にも親しんでいました。

今川家の格式 許された輿(こし)

今川家は、足利将軍家の一門でしたので格式が、とても高い家柄でした。

今川義元が、足利幕府から乗ることを許可されていた輿こしこそ、

今川家の格式の高さを象徴するものでした。

まさに高い身分の者にしか、乗ることが許されない「輿」に今川義元は乗っていたのです。

 

きょうのまとめ

今川義元が、戦国時代に公家の格好をしていたのは、

義元が格式の高い公家と同格であることを周辺の豪族達に見せつけることにより、

今川家の権威を示して、豪族達を従属させる為でした。
 
現代においても、今川家に対し公家のイメージが強く残っているのは、

それだけ今川家の家格が高かったことの証明ですね。

 

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