細川勝元と龍安寺

 

応仁の乱の東軍大将として有名な細川勝元は、室町幕府の官僚として実力を発揮していた人物です。

その細川勝元が建てたというお寺があるといいます。

京都市右京区に建つそのお寺、龍安寺について少し調べてみましょう。

 

龍安寺とはどんなお寺

龍安寺の歴史

臨済宗妙心寺派の寺院である龍安寺は釈迦如来を御本尊としたお寺です。

衣笠山山麓に位置し、枯山水の庭園で有名なこのお寺は1450年に細川勝元が創建したお寺です。

元々は984年に円融天皇の御願寺として建立された円融寺の境内地でしたが、徐々に円融寺は衰退していきました。

平安時代末期に徳大寺実能がこの地に山荘を建て、その山荘を細川勝元が譲り受けたのです。

細川勝元はここを寺地として龍安寺を建てたのです。

皮肉なことに、その後起きた応仁の乱でこのお寺は消失してしまいます。

しかし細川勝元の息子たちによって1499年に寺は再興されたのでした。

応仁の乱の前の龍安寺は現在よりはるかに広い寺地だったといいます。

明治になり廃仏毀釈によって、龍安寺も衰退してしまいます。

ところがイギリスのエリザベス2世が、この龍安寺を見たいと希望し、石庭をすごく気に入ったことが海外でも報道されるまでになりました。

今では世界的に有名なお寺となっています。

<龍安寺>

 

石庭

エリザベス2世が絶賛した龍安寺の石庭は、幅25メートル、奥行10メートルの空間に白砂を敷き詰め、東から5個、2個、3個、2個、3個の合わせて15個の大小の石を配置しています。

室町時代の末期に優れた禅僧により作庭されたと伝わっていますが、詳しいことはわかっていないようです。

この庭の石の配置は「虎の子渡しの庭」「七五三の庭」と言われています。

「虎の子渡しの庭」の由来は、虎は3匹の子供がいるとそのうち1匹は獰猛で、放っておくと兄弟の虎をも食らってしまうと言われています。

そのため母虎が3匹の子供を連れて大川を渡る時、まず先に獰猛な子虎を連れて渡り、次に2匹目の子虎を連れて川を渡ります。

次に3匹目の子虎を迎えに行くとき獰猛な子虎を再び連れて川を渡り、3匹目の子虎だけを連れて反対岸へ渡ります。

そして最後に獰猛な子虎を迎えに行くのです。こうすれば獰猛な子虎に兄弟の虎が食べられることを防げます。

これは中国の故事にならったことのようです。

また「七五三の庭」とは、東から5、2、3、2、3と並ぶ石を、5と2で七石、3と2で五石、そして残る3を三石と見立てて七五三とよんだものです。

この石庭は「どの位置から見てもどれか一つの石が見えない」ようにできていることも有名です。

 

きょうのまとめ

禅宗を信仰していた細川勝元は、自分の作ったこの龍安寺の中の御廟に葬られました。

室町幕府の実力者で、政治にも、宗教にもその力を大いに発揮していたことがよくわかります。

後世自分の建てたお寺がこんなに有名になるとは、お墓の下で細川勝元も驚いているかもしれませんね。

 

細川勝元の年表を含む【完全版まとめ】はこちらをどうぞ。
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