細川勝元が所持していた名刀「乱藤四郎」

 

細川勝元は室町幕府の官僚として長年にわたり務めていた人物です。

やがて戦国時代のきっかけとなる応仁の乱では主要人物でもありました。

そんな細川勝元が所有していた刀は名刀として有名です。

それはどんなものだったのでしょうか。少し調べてみましょう。

 

「乱藤四郎」(みだれとうしろう)とは

細川勝元が所有していた頃は、「乱吉光」と呼ばれていました。

藤四郎と名のつく刀は真っ直ぐなものが多い中、この短刀だけは刃が乱れていたのでそう呼ばれたのです。

作は「藤四郎吉光」といい鎌倉時代中期の刀工でした。

吉光は鎌倉時代京都の東山の栗田口に開いた刀工一族、「山城栗田口派」の1人です。

その吉光が打った「乱藤四郎」は豊臣秀吉から三作として讃えられた1本です。

あとの2本は、日本刀中興の祖と呼ばれた「正宗」と南北朝時代の越中の刀工「郷義弘」(ごうのよしひろ)の刀でした。

「正宗」は鎌倉時代末期から南北朝時代初期に鎌倉で活動した刀鍛冶で、史上最も優れた刀工の1人と言われています。

また、「郷義弘」は南北朝時代の越中の刀工です。正宗十哲(※)の1人とされ、諸大名はこぞってその刀を手に入れたがったのです。

※正宗十哲: 鎌倉時代末期の相模国の刀工正宗の高弟といわれる10名の刀工

しかし、彼は27歳という若さでこの世をさったと言います。

 

細川家から将軍へ献上

この「乱藤四郎」は細川家から足利将軍家へ献上されました。

15代将軍足利義昭が三好一族に襲われた時、朽木元綱により救出されたため、その恩賞として元綱にこの「乱藤四郎」が下されたのでした。

その後は豊臣秀吉の所持となりましたが、武蔵忍藩(むさしおしはん)の阿部家に伝承されています。

そして1932年に「当麻国行」(たいまくにゆき)の刀とともに阿部家を出ています。

「当麻国行」は鎌倉時代の大和の刀工で、他の大和ものの刀と比べ鍛えは精美で、刃も冴えているといいます。

 

まとめ

「乱藤四郎」は現存し、個人の所有となっているようです。

鎌倉時代に作られ、室町幕府の官僚細川勝元の手に渡り、その後も大切に人の手に譲られていったのですね。

そのような名刀が現在も残っているのはとても嬉しいことです。

これからも大切にされ後の世まで名刀としてその名を馳せることでしょう。

 

細川勝元の年表を含む【完全版まとめ】はこちらをどうぞ。
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