瑞渓院だけじゃない!北条氏康の妻と14人の子どもたち

 

現代の日本は少子化が問題となっていますが、昔の人は子だくさんでした。

戦国大名北条氏康ほうじょううじやすには、14人の子がいたとみられています。

そこで今回は、北条氏康のとその子どもたちについて、簡単に紹介していきます。

 

正室・瑞渓院は今川家出身

北条氏康ほうじょううじやす

北条氏康像(小田原城天守閣所蔵模本品、原本は早雲寺所蔵)
出典:Wikipedia

北条氏康の正室は、瑞渓院ずいけいいんという人物です。

瑞渓院というのは戒名であって、実名は伝わっていません。

北条氏康とは又従兄弟の関係

北条氏康の妻、瑞渓院の父は今川氏親です。

氏親は北条早雲の甥にあたり、氏親の母北川殿は、早雲の姉にあたります。

母は女戦国大名とも呼ばれ、今川義元の母でもある寿桂尼じゅけいにと考えられています。

したがって氏康と瑞渓院は、又従兄弟という関係にありました。

そんな二人の婚姻は1535年頃、いわゆる政略結婚です。

当時、北条家と今川家は甲斐の武田信虎(武田信玄の父)に対抗するため、両者の関係を強める必要があったからです。

子どもは6人?

氏康と瑞渓院との間には、6人の子どもができたと考えられています。

  1. 新九郎氏親
  2. 氏政
  3. 氏照
  4. 氏規
  5. 七曲殿
  6. 早川殿

長男と考えられている新九郎氏親は、16歳という若さで亡くなっています。

代わりに氏康の後を継いで後北条氏の当主となったのが、次男の氏政でした。

また早川殿というのは、甲相駿三国同盟で今川家に嫁いだ女性。

彼女は母親の実家に嫁いだというわけです。

 

子を産んだ側室は二人?

北条氏康の側室で、子どもを産んだと考えられている女性は二人います。

上杉景虎の母

まず一人目は氏康の側近・遠山康光の妻の妹とみられています。

この女性との間にできたのは、上杉景虎です。

景虎は、上杉謙信と越相同盟を結んだ際、その条件として謙信の養子となった人物。

同盟はほどなくして破棄されますが、景虎は上杉家に残りました。

北条氏邦の母

もう一人の側室は、氏康の側近・三山さんやま綱定の姉妹とみられます。

二人の間にできたと考えられてるのは、北条氏邦

氏邦は武蔵の有力国衆・藤田家の婿養子に入り、鉢形城を構築したとされています。

小田原合戦では鉢形城で、羽柴軍を迎え撃った人物です。

 

母親が伝わっていない子ども・養子

今紹介した以外にも氏康の実子としては、

  • 千葉親胤妻
  • 太田氏資妻(長林院)
  • 足利義氏妻(浄光院殿)
  • 武田勝頼妻(桂林院殿)

といった女子がいましたが、母親はわかっていません。

もしかしたら今挙げた女性以外にも、妻がいたかもしれません。

さらに、氏忠と氏光という養子(弟・氏堯/うじたかの子?)もいたとみられています。

 

きょうのまとめ

今回は北条氏康の妻とその子どもたちについて、簡単に紹介しました。

① 今川家出身の正室・瑞渓院との間には6人の子がいたとみられる。

② 側室二人との間には、それぞれ上杉景虎・北条氏邦をもうけた。

③ 他にも母親が不明の子どもと養子がいた。

こちらのサイトでは他にも、北条氏康にまつわる記事を書いています。

より理解を深めたい方は、ぜひお読みになってください。

 

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