北条時頼の美談「鉢の木」とは?

 

執権として鎌倉幕府では最大の権力者であった

北条時頼ほうじょうときより

彼はある伝承を残しています。

それが「鉢の木」の逸話です。

 

「鉢の木」とはこんな話

北条時頼ほうじょうときより

北条時頼
出典:Wikipedia

江戸時代にも伝わる「鉢の木」とはどんな話なのでしょう?

鉢の木

舞台は上野国佐野荘。

大雪の晩に僧侶がある家を訪れます。

「僧侶は一晩泊めて欲しい。」と家の主人へ求めました。

家の主人は「貧しく、訪れた僧侶をもてなせない。」と言って断ります。

しかし、雪で困っている僧侶の姿に主人は家へと招き入れます。

粟飯あわめしを僧侶に食べさせる事はできましたが、暖を取るまきが尽きてきました。

主人は大事にしていた梅や松、桜の鉢植えを薪として囲炉裏いろりにくべます。

そんな主人に僧侶は感心して名前を尋ねます。

主人は佐野常世さのつねよと言う佐野壮の領主で御家人でした。

しかし一族により領地を奪われ、今のような貧しい身の上になったと話します。

常世は貧しい身の上を語った上で

「鎌倉幕府に一大事があれば駆けつけて命がけで御奉仕する所存です。」

と御家人としての気概を見せます。

後日、鎌倉幕府から呼ばれ常世は鎌倉に駆けつけます。

鎌倉に着くと常世は北条時頼の前に呼び出されます。

あの雪の晩に尋ねた僧侶は自分だと時頼は明かします。

時頼は常世が言う通りに駆けつけて来たのを認めて、元の領地と新たな領地を常世に与えたのでした。

 

鉢の木は本当の話なのか?

正体を隠して事情を知り正体を明かしてから困っている人を助ける。

水戸黄門のような話です。

果たして北条時頼は本当にこんな事をしたのでしょうか?

鉢の木の話は時頼が執権を退いた後の事だと言われています。

時頼は康元元年(1256年)に出家した事で執権の座から退きます。

時頼が僧侶だったのは確かです。

しかし鉢の木の話になるような旅をしていたかは不明です。

では佐野常世は実在していたのか?

佐野氏は下野国(現在の栃木県)にあった御家人として実在していました。

ですが常世が実在したのか不明なのです。

 

鉢の木は広まる

鉢木物語とも呼ばれる鉢の木の逸話はいつ頃から伝わったのか?

南北朝時代に書かれた歴史書「増鏡ますかがみ」や「太平記」に書かれてからだと言われています。

しかし鉢の木の話が広まったのは江戸時代です。

人形浄瑠璃にんぎょうじょうるり歌舞伎の演目として鉢の木が公演さえれました。

庶民に広まった鉢の木の伝承は、明治以後の戦前の国語の教科書にまで載りました。

ここまで広まったのは何故でしょう?

それは時頼が民に優しい政策をした人物として庶民から好感を得ていたからではないでしょうか。

 

きょうのまとめ

鉢の木が史実ではないとしても、21世紀の現在も残っています。

鉢の木の舞台となった現在の群馬県高崎市佐野町には「常世神社」があります。

ここは常世を祀り、神社の成り立ちとして鉢の木の伝承を伝えています。

時頼の成したと言われる美談は今も形として残っているのです。

<常世神社>

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