豊臣秀吉の性格を簡単に解説

 

「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」

豊臣秀吉の性格を端的に表した句です。

農民の身分から立身出世し、

天下人にまで上り詰めた豊臣秀吉。

今回は、豊臣秀吉の性格を簡単に見ていきましょう。

 

性格の大きな変化

秀吉の性格は、
天下人となるまでその後で大きく変化したといわれます。

そこでは憶測も含め、
種々雑多な議論が繰り広げられています。

ここでは「天下を取った」という誰も否定できない事実を軸にして、
秀吉の性格を分析していきたいと思います。

 

天下人となるまで

天下を取るまでの秀吉の人生は「攻」です。

貧しい農民出身の秀吉にとって、
最初の目標は武士として取り立てられて、出世すること

続いて、
天下統一の途上で明智光秀に弑逆された主君、
織田信長の仇を討つ覚悟を決めた時、
自分が天下人となるという目標に変化していきます。

この時期の秀吉にとって、
目標は単純明快な一本道だったため、
その性格も非常に分かりやすいものでした。

冷静な判断力

身分制度が厳しかった当時の社会。

農民出身という、マイナスからの出発ともいえる秀吉です。
まず成し遂げないといけないことは、武士として取り立ててもらえるように、
自分に注目してもらうことでした。

「目立ちたがり屋だった」

と、安易に論じてしまっては、
秀吉が群を抜いて出世していく理由にはなりません。

主君、織田信長の草履を、冬の寒い時期に懐で温めておいて、
差し出したエピソードはあまりに有名です。

しかし、それはアピールする人物を見極め、
どのようにしたら嫌味がなく、
好印象で気に掛けてもらえるか、

冷静に判断し、狙っていたのでしょう。

謙虚さからのカリスマ性

秀吉が、人心掌握の術に長けていたことはよく知られています。

それは味方のみならず、
敵対していた人物をも含めて発揮されているのです。

相手の立場に立って、
その気持ちに寄り添い謙虚に接することのできる指導者は、
抜群のカリスマ性を発揮します。

生まれながらにして苦労人であった秀吉にとって、
それを素直に表現することは当たり前の行為だったのかもしれません。

周囲の人々、特に自分にはない優れた能力を有している人物は、
大きな目標を成し遂げるためには必要不可欠な存在なのだということを、
骨身にしみて理解していたのでしょう。

先見性と創造性

秀吉は、
戦いによって死者を出すことを嫌っていたといわれています。

その根底には大名が争乱を起こすたびに多くの人が死んでいく様を、
農民という最も力のない立場から、
いやというほど見て経験してきたということがあったのでしょう。

秀吉はやむを得ない場合を除いて、
力攻めを押し通すことは避け、水攻め兵糧攻めを用いました。

この戦術をとる限り味方に死者はでず、
相手方も頑強に抵抗しなければ、首領が責任をとって切腹をすることで残りの者は死なずに済むからです。

信長の命を受けて中国地方へ遠征に来ていた秀吉は、
堤防を作り備中高松城を水で包囲します。

補給路を断つことで、
相手側の動揺を誘い和睦へと導いたのです。

死者が増えれば増えるほど、
国力が衰退します。

生き残った人々は、
以後の国づくりにとって貴重な人材となっていくと秀吉は見ていたのではないでしょうか。

 

天下人となった後

天下人となった後の秀吉の人生は「守」です。

守るものが多くなると、人間は保守的になり、
自分のことしか考えなくなってしまう傾向があります。

秀吉の晩年を見てみると、
確かにそのように性格が変わっていったと思わせる事例が多々起こっているのです。

恐れと猜疑心

お市の方の娘「茶々」を側室に迎えた秀吉は、
ようやく念願の男子「鶴松」を得ます。

しかし鶴松は夭逝してしまったため、
関白の位を甥にあたる秀次に譲ることになります。

しかし後年、次子「秀頼」が生まれると、
後継者を秀頼にしたいという欲求が生まれ、
冷静な判断力を奪ってしまうのです。

秀頼誕生から2年後、
秀次は突然、謀反の疑いをかけられ切腹へと追い込まれてしまいます。

しかも秀吉はそれだけでは満足せず、
老若男女問わず一族郎党を根絶しにかかります。

これは秀次の死を憂い、
恨みを抱いた一族がいずれ反旗を翻し、
争乱の種になるかもしれないという恐れからだったのでしょう。

当時、古今東西よくあるケースだったのですが、
幼い子供まで含めた39名全員が斬首されたのですから、

人を大切にしてきた秀吉のイメージとは大きく変化したものと言えます。

ただ、秀頼への溺愛と年齢による判断力の衰えと語られがちなのですが、
そんな単純なものでもなかったのだと思われます。

そこにはようやく争乱のない世にできたのに、

「秀次」 と 「秀頼」

が同時に存在することにより、
自分の死後、両者を擁護して敵対する勢力が対峙し、
再び世が戦乱に戻ってしまうのではないかという恐れから、

徹底的に後顧の憂いをなくすために動いたのかもしれません。

 

きょうのまとめ

豊臣秀吉の性格についていかがでしたでしょうか。

豊臣秀吉の性格を簡単にまとめると、

① 冷静な判断力

② 謙虚によるカリスマ性

③ 先見性と創造性

を持ち合わせた人物と言えるのではないでしょうか。

これらの性格は、秀吉という稀有な人物の中で絶妙に絡み合って、

天下人へと彼を導いていく大切な要素となっていったといえます。

「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」

それはまさに、天下を統一し、戦乱のない世の中にするという目的を、

どのような手段を用いてでも成し遂げようとしていた秀吉の性格を、

凝縮して表した句といえるのではないでしょうか。

 

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