室町幕府の第3代将軍の足利義満は、
自分の隠居用に金閣寺を建て栄華を誇っていたことは誰もが知っていますね。
この義満と一休さんがよくとんち比べをしたというアニメがありました。
はたしてそんなことが本当にあったのでしょうか?
今回は足利義満と一休さんの関わりについて調べてみましょう。
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一休さんとはどんな人?
1394年に生まれた一休さんは、
父に後小松天皇、母は藤原氏の出身の方でした。
足利義満によって南北朝時代が終わったものの、権力争いに巻き込まれぬよう、わずか6歳で臨済宗の寺に出家させられました。
アニメや物語ではクリーンなイメージの一休さんですが、実際にはそうではありませんでした。
当時僧侶は肉や酒を食せず、質素な精進料理を常としていたにも関わらず、一休さんは何でも食べ、酒も飲み女性との付き合いまで普通にしていたといいます。
反面、僧侶のしていたお金や政治への執着はなく、いつも貧乏でした。
むしろ政治に関わる僧侶や当時の将軍足利義政のことを軽蔑していました。
そう考えると一休さんの方がクリーンなのかもしれないですね。
一休さんは70歳を超えた頃、目の不自由な若い女性に恋をして1481年86歳でこの世を去るまでその人と暮らしています。
当時の86歳は大往生というほど長生きな方でしたが、
一休さんは「まだ死にたくない」と言っています。
足利義満と一休さん
こうなると一休さんは足利義満とは接点が見当たりませんね。
僧侶になっても一休さんはエリートな生まれですし、足利義満も当時は栄華を極めた人です。
少しぐらい面会をしたかもしれませんが、お話にあるようなとんち対決や、
屏風の虎退治などはありませんでした。
むしろ年齢的には義教の息子の義政との方が会う機会があったでしょう。
ただアニメの中で、皆が正月でめでたい思いをしている時に、しゃれこうべを持ち、
と言いながら町を歩き、人々に石を投げられていた場面があります。
これは年代がズレているのですが、事実だと思います。
戦の絶えない時代に一休さんが皆の幸せを願って投げかけた言葉でしょう。
今日本は平和です。
でもいつ戦争は起こるかわかりません。天災だって襲ってきます。
有頂天でいないでいつも気をつけることと同時に、覚悟もしておきなさいという一休さんの教えかもしれません。
一休さんの友
アニメに出てくる蜷川新右衛門さんという方は実在の人物です。
ただ年代が少しずれていて、彼は義満にではなく義政の家臣でした。
職も義満の時代に描かれた寺社奉行ではなく、義政の政所奉行でした。
剣術の方はあまり強くなかったようですが、学問に優れたインテリでした。
新右衛門さんは、実際に一休さんとは親交があったようです。
実はこの方格闘家の武蔵さんのご先祖様だということです。
きょうのまとめ
アニメに登場する一休さんはいつもとんちで足利義満をギャフンと言わせる活躍ぶりでしたが、
実際はそんなことはなかったようでとても残念です。
ほとんどのとんちシリーズは後世になって作られた物語だったということですね。
それでも70歳超えて女性を愛していた一休さんは純粋な人だったのかもしれません。
足利義満とはあまり関わりがなかったようですが、
一休さんはアニメの中の一休さんのままでそっとしておきたいですね。
足利義満の年表を含む【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
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義政は義満の子供ではなく、義教の子ではないですか?
ご指摘ありがとうございます!
おっしゃる通りですね。
義政に修正させて頂きました。