一休宗純とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

禅僧なのに酒や肉は当たり前で、なかなかの女ったらし。

でも、そんなムチャクチャがなぜか筋にしっかり通っていたりします。

人々の思っているけれどなかなかできないことを言ってのけ、やってのけ。

自称「狂雲子」一休宗純の人生をふりかえってみましょう。

 

一休宗純はどんな人?

プロフィール
  • 出身地:京都
  • 生年月日:1393年
  • 死亡年月日:1481年(88才)
  • 室町中期の有名な禅僧

 

一休宗純の年表

年表

1393年(0才)一休宗純生まれる

1399年(6才)京都安国寺に入門する

1410年(17才)謙翁宗為(けんおうそうい)の弟子となる

1414年(21才)謙翁宗為亡くなり、一休自殺未遂をする

1415年(22才)華叟宗曇(かそうそうどん)の弟子となる

1420年(27才)闇にカラスの鳴き声を聞き大悟し、華叟のもとを去る

1456年(63才)京田辺に酬恩庵を結ぶ

1474年(81才)大徳寺の住持となる

1481年(88才)一休宗純亡くなる

 

天皇のご落胤説

一休宗純は後小松天皇のご落胤という説が一般的とされます。

時は南北朝合一の余韻冷めやらぬころ。

南朝ゆかりの伊予局(いよのつぼね)は後小松天皇との間に子をやどします。

が、ねたまれ、「南朝方と通じている」とうわさを立てられ、御所にいられなくなって、京都西部山の手の嵯峨野で男の子「一休」を生んだといわれます。

 

二度の自殺未遂

まだ若い一休さんは謙翁宗為(けんおうそうい)というお師匠さんをとても慕っておりました。

しかし、お師匠さんが亡くなり、一休は傷心のあまり瀬田川にとびこもうとします。

すんでのところで人に抱き留められ、無事でした。

なお、一休さんはより成長してからもう一度自殺未遂をしたことがあります。

当時、派閥争いからたくさんのお坊さんが逮捕され、自殺する人まで出てまいりました。

世をはかなんだ一休さんは山にこもって絶食します。

が、当時の天皇からおもいとどまるように勅命が下り、一休さんも絶食をやめました。

 

カラスの鳴き声で悟る

ある夜、一休さんが琵琶湖の船上で禅を組んでいるとカラスの鳴き声がしました。

すると、一休さんは

「目には見えなくてもカラスがいることがわかる。なら、おしゃか様も見えないけれど心の中にいらっしゃるはずだ」

とさとりました。

当時のお師匠さん華叟宗曇に

「印可状を与えようか」

と問われますが、一休はことわり、寺を後にしたといわれます。

 

一休宗純名言集

一休さんには独特のユーモアと味わい深い名言が数々残され、今も根強い人気があります。

門松は冥土の旅の一里塚

門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし

「お正月はおめでたいけれど、死に一歩近づくね」

という意味です。

釈迦(しゃか)といふ いたづらものが 世にいでて

釈迦といふ いたづらものが 世にいでて おほくの人を まよはすかな

おしゃかさんのおっしゃることはもっともだけど、それでたくさんの人たちが道を迷ってしまいます、

と一休は言っております。

秋風一夜百千年

秋風一夜百千年

あなた(女性です)といっしょに秋風しみるこの一夜は百千年にも勝るね、

と一休が言っております。

女をば 法の御蔵と 云うぞ実に

女をば 法の御蔵と 云うぞ実に 釈迦も達磨も ひょいひょいと生む

この方は女性の母性的な存在そのものを太陽のようにあがめたてまつっているようです。

南無釈迦じゃ 娑婆(しゃば)じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ

南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ

娑婆とはこの世のことです。

「死にたくない」

「死にたくない」

一休、いまわの一言だと伝えられております。

マラリアで亡くなりました。

関連記事 >>>> 「破戒の名僧一休宗純名言集8選 〜理屈よりまず、人間だもの〜」

 

きょうのまとめ

クリっとした目で

「あわてないあわてない。一休み一休み」

とかわいく寝そべっていた少年僧が、ゴマダラの無精ひげをはやし、座った目で

「カーーーーーッツ!」

などと人差し指を思いっきり突っ立ててきます。

ミラーボールの下で小指立ててマイクにぎり、なんか歌ってるし(E〇レビジョンです)。

時代に合わせて一休さんもいろいろといそがしそうですね。

この人、後年には京都大徳寺というとても由緒ある寺の住持になっております。

まあ、そんなことは一休宗純にはとってもナンセンス。

このお寺の門の上に自分の像を飾らせて天下人(豊臣秀吉)をも下にくぐらせたとはその傲慢(ごうまん)さに

「カーーーーーーッツ!」

だったのでしょうか。

千利休さん。

歴史上のお坊さんもいろんな個性があってそれぞれに魅惑です。

① 一休宗純は後小松天皇のご落胤と一般的にいわれている

② 一休宗純はそれまでの仏法や禅宗の枠にこだわらない独特の道を実践した

③ 一休宗純はいろんな時代にいろんな形で愛され続けている

そういえば、ギリシャにも一休さんのような濃くて面白い人がおりまして“ディオゲネス”といいます。

物乞いより貧しい暮らしをしたといわれ、そのクセ、アレクサンドロス大王にもうらやましがられたという男です。

いつも壊れた大ダルの中で過ごし、気が向くままにゴロゴロと転がして“家”を移します。

この人の場合は徹底的に物欲をそぎ落とし、やっぱりクセも味も濃密な言動で人気があるようです。

 

関連記事 >>>> 「一休宗純クセあり魅惑の逸話集7選~形式より、中身だもの~」

 










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