足利義満の家系図はどうなっているのだろう

 

足利義満は室町幕府第3代目の当主です。

祖父、足利尊氏が初代将軍です。

この足利家の血筋はどのように繋がっていたのでしょうか。

足利尊氏以前とそれ以降を調べてみました。

 

足利義満の家系図

まずは、足利義満の家系図をみてみましょう。

青字は、何代目かを表しています。

清和源氏足利流

足利家の血筋は、
遠い昔の清和天皇から始まります。

清和天皇は平安時代前期の第56代の天皇です。

この人が武門の棟梁となる清和源氏の祖となるのです。

つまり源頼朝をはじめとする
「 源氏 」と呼ばれている人はこの清和天皇の血を継いでいるのです。

新田義貞や武田信玄も
この清和源氏から枝分かれしているのです。

もちろん武家にならなかった人たちもたくさんいます。

足利家はこの清和源氏から河内源氏の流れを汲み、
鎌倉時代を経て室町時代には足利尊氏が将軍となり天下人となりました。

 

足利義満の家系図

足利義満は足利尊氏の孫にあたります。

父は尊氏の嫡男で、
代将軍の足利義詮(あしかがよしあきら)です。

義詮には正室との間に千寿王という嫡男がいましたが幼くして亡くなったため、
義満が第代目の将軍となりました。

義満は側室藤原慶子(ふじわらの よしこ)との間に生まれた義持を嫡男とし、
代目を継がせています。

その義持は義量(よしかず)に将軍職を譲りましたが、
義量は身体が弱く父よりも先に19歳でこの世を去ります。

代目将軍はわずか2年の在位期間でした。

義量には子供がいなかったのでしばらく義持が将軍代行をしていましたが、
義持の死去に伴い弟の義教(よしのり)代目将軍となりました。

この人は悪名が高くかなり厳しい将軍だったようです。

嘉吉の乱(かきつのらん)で暗殺されています。

義教の後は嫡男の義勝が継ぎ、
代目将軍となりましたがわずか9歳だったうえ、
1年後には病死してしまいます。

そして代将軍は義政となります。

彼は政治より文化面に熱心な人で銀閣寺を建てたのも義政です。

しかし応仁の乱もこの人の在位期間に起こっています。

義政と正室日野富子との間に男の子がいましたが早世してしまいます。

仕方なく実弟の義視(よしみ)を次期将軍とすることになったのですが、
その後日野富子に嫡子が生まれました。

当然その子、義尚(よしひさ)が9代目となりました。

その後も足利将軍家は続き、
13代目の義輝は松永弾正や三好三人衆と対立し、
争いの上自害しています。

そして義輝の死後、
室町幕府最後の将軍となったのは弟の義昭です。

織田信長に推挙され第15代目の将軍となりましたが、
今度は信長と対立するようになり京都を追われ室町幕府の終焉となったのです。

 

まとめ

足利家といってもとても古くからの血が繋がっているのですね。

義満以降の将軍たちは義政以外あまりその存在を目だたせた人はいませんが、

義輝は自ら剣を持ち戦った志の強い勇者だったそうです。

足利尊氏から繋がった直系の子孫は絶えてしまったそうですが、

枝分かれした子孫がたくさん全国におられるそうです。

もしかするとこれを読んでいるあなたにも、

清和源氏の血が受け継がれているかもしれませんね。

 

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