今川義元は
なぜ2つの家紋を持っていたのでしょうか?
家紋とは兄弟親戚の中で、互いを区別するのに用いられていたものでした。
今川義元は2つの家紋を持っていましたが、
それぞれの家紋には何か意味があったのでしょうか。見ていきましょう。
もちろん今川義元も登場!?明智光秀が主役の「麒麟がくる」がはじまりますね。
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【キャストビジュアル公開】
今川義元(いまがわ・よしもと)
片岡愛之助#麒麟がくる pic.twitter.com/nFHrvOdg10— 【公式】大河ドラマ「麒麟がくる」初回1月19日(日)放送@NHK (@nhk_kirin) December 26, 2019
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今川義元2つの家紋の意味
足利将軍家と同じ「足利二引両(あしかがにひきりょう)」
今川義元のご先祖様を遡ると
鎌倉時代、足利第四代当主の足利泰氏の兄、足利長氏がいます。
この長氏の母君が正室ではなく、側室であったことから足利宗家を継ぐことができませんでした。
そして、この足利長氏の子孫が吉良家や今川家になるわけです。
室町幕府が成立した頃になると、
今川家は将軍足利家から一門とみなされ、他とは別格の待遇を受けるまでになっていました。
系図で今川家は吉良家の分家になり、吉良家は室町将軍家の分家であることから、
足利将軍の跡継ぎがいない時には、吉良家がその後を継ぎ、
その吉良家にも跡継ぎがいない時には今川家がその後を継ぐという家柄でした。
つまり今川家というのは、室町幕府将軍も輩出できるような名門の足利一族だったのです。
まさに、征夷大将軍の継承権を持つ名家でした。
足利将軍家の家紋が「足利二引両」であり、足利一族も利用していました。
こうしたことから、今川家で使われていた家紋のひとつは、足利将軍家と同じ「足利二引両」だったのです。
戦国時代初期に戦国大名として、天下に最も近いと言われていた今川義元の一族は、万感の思いでこの家紋を用いていたのではないでしょうか。
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今川家の、もう一つの家紋。赤鳥紋
今川義元が使っていた、もう一つの家紋が「赤鳥紋」です。
これは今川家、初代当主であった今川範国が1337年に駿府(静岡)の浅間神社に参拝した際に
という神託を受けたことによります。
その時、今川軍が所持していた笠符(敵味方を区別するための目印)が、
馬の毛をすくための「垢取り」だったということと、この「赤鳥」とをかけた神託であったというものです。
今川義元は家紋「赤鳥紋」と共に、自分の馬印としても「赤鳥紋」を用いていました。
今川家、初代当主の今川範国が、神託を受けて室町幕府、足利将軍の重臣として活躍し戦っていた頃の故事にあやかりたいという思いもあって
今川義元は、「赤鳥紋」を重用していたのでしょう。
きょうのまとめ
2つの家紋、「足利二引両」、「赤鳥紋」いかがでしたか。
どちらも戦国の世を生き抜いた
今川義元の熱い思いや願いが、ぎっしりと詰まった「家紋」でした。
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