徳川慶喜とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

徳川慶喜とくがわよしのぶを知らない人は、まずいないでしょうというぐらい歴史上有名な人物ですね。

言わずと知れた江戸幕府最後の将軍です。

幕末を舞台にした小説、ドラマには必ず登場しますが、

正直、良く描かれておりません。

特に、将軍ではなくなり明治時代になってからはどんな生活を送っていたのか気になるところですね。

見て行きましょう。

 

徳川慶喜はどんな人?

プロフィール
徳川慶喜

出典:Wikipedia

  • 出身地:江戸 小石川(現在の東京都文京区後楽)
  • 生年月日:1837年9月29日
  • 死亡年月日:1913年11月22日(享年77歳)
  • 江戸幕府最後の将軍。大政奉還を行い幕府政治を終わらせた。

 

徳川慶喜 年表

年表
西暦(年号)

1837年(0歳)江戸・小石川に生まれる。(幼名、松平七郎麻呂)

1838年(7ヶ月)江戸から水戸に移る。

1847年(10歳)
第12代将軍家慶の意向により御三卿・一橋家の世嗣となり江戸へ。
徳川慶喜と名乗る。

1859年(22歳)安政の大獄。隠居謹慎処分が下るが、翌年9月に謹慎解除。

1863年(26歳)徳川家茂の将軍後見職になる。

1864年(27歳)後見職辞任。禁裏御守衛総督に就任。禁門の変。第一次長州征伐。

1866年(29歳)第二次長州征伐。家茂薨去。慶喜15代将軍就任。

1867年(30歳)大政奉還。

1868年(31歳)戊辰戦争。上野・寛永寺で謹慎。家督を徳川家達へ譲る。
駿河にて謹慎。1902年公爵に。1913年 77歳で死去。

 

前半生と後半生が全く違う!徳川慶喜の人生

慶喜の人生は実に稀なものと言えます。

歴史の大転換点に存在したゆえ仕方ない部分もありますが、前半生と後半生が全く異なっています。

将軍という国のトップの立場から、謹慎の身の上というどん底の立場になってしまいました。

幕府と皇族の血

さらに、前半と後半が全く交差しない人生でした。

彼の出自もそれに絡んでいます。

父は徳川御三家、水戸藩藩主・徳川斉昭、母は有栖川宮織仁親王ありすがわのみやおりひとしんのうの第12女王・吉子女王よしこじょおうです。

徳川幕府皇族、両方の血が流れています。

これは慶喜にとって重要な事と考えられています。

社会的混乱の時期に将軍候補として担がれ、対立に巻き込まれて行きました。

幼少の頃から英明の誉れ高き慶喜は役職に就くと幕政改革を行い、

朝廷との公武合体政策を進めて行きましたが、血の気の多い薩長の反抗や水面下での倒幕活動に翻弄されました。

大政奉還

大政奉還をしたにも関わらず、王政復古のクーデーターを起こされ、

薩摩藩に挑発され乗ってしまって勃発した鳥羽・伏見の戦い

官軍(朝廷側)との戦いになってしまった為、

皇族の母を持ち、根っからの尊皇思想である彼には戦さ回避しか選択の余地はありませんでした。

敵前逃亡とみなされました。

これが、慶喜の評価が低い一因です。

その後、自ら謹慎し、徳川家の駿府移封に伴い静岡で暮らしました。

隠遁生活

1869年の戊辰戦争終結後は謹慎を解除され、隠遁生活、後半生が始まりました。

好奇心旺盛な性格だったのでしょう、趣味に没頭する生活を送りました。

それは幅広く、囲碁、謡曲、狩猟、写真。

1902年には幕府時代から仕えてきた勝海舟の活躍により公爵に叙せられ、徳川慶喜家を興しました。

貴族院議員にもなりました。

1913年、77歳で亡くなりました。

明治という時代を最初から最後まで見届け、徳川歴代将軍の中で最長命です。

 

徳川慶喜にまつわるエピソードや伝説

最後の将軍という興味を掻き立てる立場であったことや、隠居生活が長かったこともあり、たくさんのエピソードが残されています。

意外!なことを取り上げてみます。

写真、撮るのも写るのも大好き

慶喜の趣味の中でも力が入っていたのが写真。

撮るのも写るのも好きだったようです。

曾孫の徳川義朝氏はカメラマン。血筋でしょうか。

牛乳を飲んでいた!

正室の美賀子夫人の病気治療の際、体力が衰えつつあった慶喜も健康チェックを受けたところ、

尿に異常が見つかり、対処法として牛乳を飲むことを薦められ、それが日常になったそうです。

幕末の敵達との交流

晩年の慶喜は穏やかに過ごせていたとは聞いていましたが、

公爵となってからは幕末的であった長州藩の伊藤博文や薩摩藩の西郷隆盛の長男らと交流がありました。

天皇・皇后と食事を共にすることもありました。

幕末のわだかまりがなくなっていたのですね。

それは家臣の勝海舟や渋沢栄一らの活動があったからでした。

 

きょうのまとめ

最後までお読み頂きありがとうございました。

徳川慶喜について簡単にまとめます。

① 父は徳川御三家水戸藩主、母は皇族であり幕府と朝廷両方の血を引く

② 人生の前半と後半が全く違う環境と立場になってしまった

③ 穏やかな晩年を過ごすことができた

その他の記事について慶喜にまつわる色々な記事を書いています。

よろしければどうぞ御覧ください。

 

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