クレオパトラ7世の家系図に迫る!争いの絶えない一家だった?

 

世界有数の美女として知られるクレオパトラ7世が歴史に名を残しているのは、ただ魅力的な女性だったという理由だけではありません。

一族が過ごしたプトレマイオス朝の歴史の中でも、彼女を取り巻く状況というのは特に波乱万丈。

いうなればトラブルメーカーだったのです。

家系図を辿れば、彼女がどれだけの騒動を巻き起こしてきたかということがわかるでしょう。

 

200年以上もエジプトを支配したプトレマイオス朝

クレオパトラの家族

クレオパトラ7世は、父プトレマイオス12世と、母クレオパトラ5世の間に生まれたプトレマイオス家の三女

プトレマイオスの家系は、紀元前305年から紀元前30年まで270年もの間、古代エジプトを支配し続けた長い歴史を持つ王族でした。

プトレマイオス朝を創始したのはアレクサンダー大王の部下だったプトレマイオス。

東ヨーロッパのマケドニア人を起源とする一族で、長い歴史を持ちながらほとんどがマケドニア人の血筋で構成されています(兄弟婚が一般的だったため)。

クレオパトラ7世は兄妹もたくさんいました。

姉にはクレオパトラ6世とベレニケ4世、妹にアルシノエ4世、弟にプトレマイオス13世、14世。

女性四人、男性二人の六人兄弟です。

親子合わせて八人家族

それも古代エジプトの王族となれば、権力を巡ってしがらみも絶えません。

この一家、ものすごく仲が悪いんです…。

争いの絶えない一家だった

まず現代では想像できないような状況ですが、クレオパトラ7世が14歳のころ、王位を巡って姉のベレニケ4世が父プトレマイオス12世と権力争いをします。

父親から王位を奪ってやろうという思考が、まずぶっ飛んでいるように感じますが、この時代のエジプトでは権力こそすべてだったのでしょうね。

結局勝ったのはプトレマイオス12世で、ベレニケ4世は処刑されてしまいます。(実の娘を処刑するというのも恐ろしい…。)

後にプトレマイオス12世が死没し、クレオパトラ7世とプトレマイオス13世が遺言により結婚。

この二人が王位を引き継ぐことになります。

ここで「おや?もう一人のお姉さんは?」という疑問が出てきますが、姉のクレオパトラ6世にいたってははっきりとしていない部分が多いのです。

実は母のクレオパトラ5世と同一人物だという説もあったり。

つまり、正式にはクレオパトラ7世は三女ではなく二女だったかもしれないのです。

王位を継承したはいいものの、夫のプトレマイオス13世は幼かったため、家臣にいいように扱われてしまいます。

これに反発したクレオパトラは国外へ追放。

このときなんと妹のアルシノエ4世までもが、プトレマイオス13世と結託して、クレオパトラと対立していたのです。

なんとまあ、本当に仲の悪い一家ですね。

 

カエサルとの出会い

カエサルと愛人関係に

クレオパトラを救ったのは、当時圧倒的な勢力を誇ったローマを率いていたガイウス・ユリウス・カエサルでした。

紀元前48年、カエサルとのローマ内戦で敗れ、エジプトに逃げたポンペイウスが現地で討伐されたことを知り、彼はエジプトを訪れていたのです。

ここで王族同士の争いを聞きつけ、カエサルが仲介役を引き受けるのですが、紆余曲折あってクレオパトラと愛人関係になります。

結果プトレマイオス13世はカエサルを攻撃し、返り討ちに合って処刑されるのですが…。

ちなみにプトレマイオス13世と結託していたアルシノエ4世は、紀元前46年にローマで行われたカエサルの凱旋式で引き回しの刑にされるなんてことも。

…結局クレオパトラの一人勝ちという感じですね。

カエサルとクレオパトラについて、詳細は以下の記事をご覧ください。

 

関連記事 >>>> 「カエサルとクレオパトラが結ばれた理由は?国のために奔走する女王」

 

結局兄弟全員が仲たがい

プトレマイオス13世が処刑された後、クレオパトラはもう一人の弟、プトレマイオス14世と再婚しています。

しかしクレオパトラはプトレマイオス14世を暗殺したという説があるのです。

クレオパトラはカエサルとの間にカエサリオンという子供をもうけており、カエサリオンを共同統治者として王位につかせたいと思っていたからです。

この後の紀元前42年、クレオパトラはカエサルの元腹心だったアントニウスと愛人関係に(カエサルはすでに暗殺された後)。

妹アルシノエ4世はまだ生きていましたが、クレオパトラの頼みでアントニウスに殺害されています。

結局兄弟全員が仲たがいで命を落としていることになりますね…。

 

プトレマイオス朝に終止符が打たれる

そしてクレオパトラに夢中になり、ローマを捨てたアントニウスに対して、カエサルの後継者として選ばれていたオクタウィアヌスが激怒し宣戦布告。

最後は紀元前30年、アントニウスと共に追い詰められ、クレオパトラも自害する道を辿ります。

このとき自分以外のカエサルの後継者になり得るとして、オクタウィアヌスはカエサリオンも殺害。

こうして270年以上続いたプトレマイオス朝は終止符を打つことに。

クレオパトラはプトレマイオス朝最後の女王となったのです。

 

きょうのまとめ

波乱に満ちたクレオパトラの人生は、その家系図を辿ってみてもやはりハチャメチャでしたね。

簡単にまとめてみると…

① クレオパトラ7世は270年以上の歴史を誇る王族の血筋だった

② 一家はものすごく仲が悪く、兄妹は全員仲たがいで命を落とした

③ クレオパトラ7世の代でプトレマイオスの家系は途絶えている

以上のような感じでしょうか。

トラブルメーカーといえども、一家の中では結局最後まで生き残ったクレオパトラ。

この時代、争いの中生き延びられるということが、彼女の優れた知性を表していますね。

 










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