アドルフ・ヒトラーとはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

アドルフ・ヒトラーはドイツ国の首相で、独裁的な政治体制により、世界を第二次世界大戦へ誘った人物です。

また、ユダヤ人を大量虐殺した20世紀最大の独裁者としても有名です。

頑なで独自の思想を持って世界に影響を与えたヒトラーは、その攻撃的な演説から悪人の印象が強いですね。

ここでは、そんなアドルフ・ヒトラーについてまとめていきます。

 

アドルフ・ヒトラーはどんな人?

プロフィール
アドルフ・ヒトラー

出典:Wikipedia

  • 出身地:オーストリア=ハンガリー帝国オーバーエスターライヒ州(ブラウナウ・アム・イン)
  • 生年月日:1889年4月20日
  • 死亡年月日:1945年4月30日(享年56歳)
  • ドイツ国の首相となり独裁者として第二次世界大戦の引き金となった。ユダヤ人を大量虐殺

 

アドルフ・ヒトラー 年表

年表

西暦(年齢)

1889年(0歳)オーストリア=ハンガリー帝国オーバーエスターライヒ州のブラウナウ・アム・インで生まれる。

1901年(12歳)リンツ実科中等学校一年生時、数学と博物学の試験に不合格。留年。

1907年(18歳)ウィーン美術アカデミー受験。不合格。

1908年(19歳)二度目のウィーン美術アカデミー受験。不合格。

1909年(20歳)浮浪者収容所に入る。

1911年(22歳)リヒャルト・ワーグナーに心酔していきた時期。この頃、図書館で読書し人種理論、反ユダヤ主義などに傾倒していく。

1913年(24歳)ミュンヘンに移住。洋服仕立て屋ポップの元で比較的安定した生活。

1914年(25歳)ドイツ帝国が宣戦布告。ヒトラーは喜んで志願。四年間に渡り四十回以上の戦闘に参加。伍長としては異例の最高戦功勲章「一級鉄十字章」を受章する。

1919年(30歳)ドイツ労働者党の有力な政治家と目されるようになり、高い演説力を評価された。

1923年(34歳)ミュンヘン一揆勃発。ヒトラーは逮捕されるも、司法側を感化させる程の演説力で裁判は独壇場。

1925年(36歳)ナチ党再建。この頃にミュンヘンをまとめ上げる。

1932年(43歳)ナチ党が国会の第一党になる。

1933年(44歳)首相就任。ヒトラー内閣勃発。独裁政権の始まり。

1935年(46歳)ヒトラー崇拝が国民的に義務付けられる。「ハイル・ヒトラー」が定着。

1938年(49歳)オーストリア併合。この年、数多くの政策を行う。

1939年(50歳)第二次世界大戦勃発。

1944年(55歳)ヒトラー暗殺事件勃発するも未遂で終わる。関係者を殺害。

1945年(56歳)敗戦。ベルリン内の総統地下壕内で自殺。

 

ヒトラーの少年~青年時代

報われない少年〜青年時代

アドルフ・ヒトラーは少年時代は父との関係が悪く、反抗的で学校の成績も悪かったのです。

ヒトラーの学歴は小学校卒業までで、中学校の卒業資格すら持っていないというのは驚きです。

不遇な少年時代を過ごしたヒトラーですが、その報われない時代は青年期まで続き、18歳の時にウィーンの美術アカデミーを受験するも不合格。

その後、19歳の時にも美術アカデミーを受験しますがこの時も不合格で、彼はその後、絵を売り貧困な暮らしをしていたのです。

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ヒトラーの絵は下手だったのか?

ヒトラーは本気で画家を目指していたわけですから、絵心が無かったわけではありません。

デッサン力が欠けているという意見も頻繁に聞きますが、彼の描く絵自体は素人目から見れば上手いと評価できるものもあり、そこは意見が分かれる所かもしれません。

ヒトラーが画家になれなかった一番の理由は、当時ウィーンでは抽象画や斬新な手法を用いた絵画が流行っていました。

しかし、ヒトラーが好んで描いていたのは、写実的な古典芸術の絵。

それが、当時の流行とマッチせず、ヒトラーは画家になれなかったとも言われています。

 

兵役を経て政治家として活躍

20代前半まで不遇だったヒトラーですが、20代後半からはドイツ軍で武勲を上げ、最高戦功勲章「一級鉄十字章」を受章するなど目覚ましい活躍をします。

その後、30歳の時(1919年)ドイツ労働者党の政治家になり、高い演説力が注目され政界で頭角を現していくようになります。

ヒトラーの思想の原型は18歳~25歳頃までに作られた言われており、ヒトラーをよく知る人達は、当時の彼を生真面目な読書家と評していました。

その頃に得た知識が、後のヒトラーの政治活動に多大な影響を及ぼしたことは言うまでもありません。

 

紆余曲折を経てドイツ国の首相に

政治家となって十数年あまり、逮捕されたり自殺を考えたり、様々な紆余曲折があったヒトラーですが、1933年(44歳)にドイツの首相就任します。

ヒトラーのナチ党はこの頃には社会民主党を抜いて国会の第1党になり、僅か2~3年の間で非常に高い支持を得るに至ったのです。

その後、ヒトラーは独政権を始め、有名な「ハイル・ヒトラー」の掛け声とポーズも国民に義務づけるようになりました。

第二次世界大戦時は枢軸国の実質的な指導者として世界に大きな影響を与え、1945年の敗戦と同時に、ベルリン内の総統地下壕内で自殺しました。

 

ユダヤ人大量虐殺ホロコーストとは?

ヒトラーと言えばユダヤ人を大量虐殺したホロコーストで有名ですが、彼は実に600万人のユダヤ人を組織的に迫害し、軽く100万人以上のユダヤ人を殺害したとされています。

ヒトラーは20歳頃、ユダヤ人に絵を売って生計を立てていた時期もあり、なぜそれ程までユダヤ人に憎悪を抱くようになったのか直接的な理由は不明ですが、歴史的にユダヤ人は迫害の対象とされていて、ヨーロッパ全土でユダヤ人は憎悪の対象でもあったことがホロコーストの原因としてあげられます。

ユダヤ人のマルクス主義と真っ向から対立したヒトラーの独裁主義の影響もあり、それらが重なりホロコーストは引き起こされてしまったのです。

1935年頃から徐々にユダヤ人の自由は制限され、1942年より「最終解決」と呼ばれる数百万人のユダヤ人を強制的に収容所に移送して大量虐殺する政策が取られました。

1941年頃~ドイツ終戦となる1945年5月8日まで続いたユダヤ人大量虐殺のことを、ホロコーストと呼びます。

 

きょうのまとめ

ヒトラーについて簡潔にまとめました。

① ヒトラーは少年~青年時代まで不遇でした

② 20代後半の時にドイツ兵に志願して高い武勲を得ました

③ 30歳頃に政治家になり頭角を現し始めます

④ ドイツの首相となり枢軸国の指導者的な立場で第二次世界大戦に影響を与えました

⑤ ユダヤ人を大量虐殺したホロコーストを行いました

ヒトラーは、若い頃は苦労が多かったというのが意外です。

他にもヒトラーに記事を書いていますので、ぜひご覧になってみてください。

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