立花宗茂と誾千代の夫婦仲は?

 

立花たちばな宗茂むねしげ

と言えば同時に出てくる人物が

立花たちばな誾千代ぎんちよではないでしょうか。

誾千代は宗茂の正妻ですが、男勝りな勇ましい女傑としても有名ですね。

武勇に優れた宗茂とは相性が良さそうに思えますが、

実際の2人の仲はそうでもなかったようです。

見ていきましょう。

 

宗茂と誾千代の仲

立花宗茂 たちばなむねしげ

立花宗茂畫像
出典:Wikipedia

宗茂と誾千代、2人の夫婦仲はどうだったのでしょうか。

調べてみましたので一緒に見ていきましょう。

立花誾千代とは

まずは立花誾千代とはどんな人なのでしょう。

誾千代は37戦37勝という生涯の戦で負け無しという猛将・立花道雪どうせつの一人娘として生まれました。

道雪57歳のときの子供で、溺愛されて育ったと言います。

一人娘だったため、跡取りとして育てられた誾千代は、武芸に秀でた姫に育ちます。

正式な手続きを経て、7歳で父から立花家の家督を譲り受けます。

跡取りとして育てられたのですから、男勝りな性格は致し方ないとも言えますが、誾千代は相当頑固だったようです。

誾千代の「ぎん」は

・慎み人の話を聞く

・安らぎ慎む

といった意味がありますが、どうも慎みとは真逆の性格だったようです。

宗茂は婿養子

宗茂は立花家の婿養子です。

宗茂は高橋招運たかはしじょううん嫡男でした。

嫡男ですから、ゆくゆくは高橋家を継ぐはずです。

それでも道雪は熱心に「宗茂を婿に欲しい」と懇願します。

道雪にしてみれば、「この男になら家と娘をまかせられる!」と思った男をみすみす逃がしてなるものか、という思いだったのかもしれません。

道雪の熱意に根負けした招運は、宗茂を立花家の婿に出すことを決めます。

2人が結婚したのは宗茂15歳、誾千代13歳の時でした。

宗茂が婿養子になると、誾千代に代わり立花家の家督を譲り受けます。

ほぼ別居状態

女といえど跡取りとして育てられ、7歳から6年間は立花家の当主として過ごしてきた誾千代にとっては、心穏やかではなかったかもしれません。

当主が2人、同じ屋根の下にいると考えたら上手くいかないのも納得です。

宗茂は国替えとなり、豊臣秀吉から筑後柳河を拝領しますが、

誾千代は父の墓がある場所を離れたくないと城を出て、宮永村に居を構え別居状態になります。

2人が結婚したのが1581年で、宗茂が筑後柳河を拝領したのが1587年ですから、その同居生活はわずか6年という短いものでした。

その6年の間も、決して仲睦まじいとは言えない間柄だったようです。

 

きょうのまとめ

立花宗茂と立花誾千代の夫婦仲についてご紹介しましたが、

いかがでしたでしょうか。

誾千代は34歳の若さで亡くなりますが、宗茂は手厚く誾千代を弔っています。

「仲が悪かった」と言われている2人ですが、夫婦のことは夫婦にしか分かりません。

愛情ではなかったかもしれませんが、夫婦の情は確かにあったのかもしれません。

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