白河の大名君!松平定信、お膝元でのすばらしい業績の数々

 

どこにいっても地元の歴史ヒーローというものはいるものです。

福島県白河市の場合、松平定信(まつだいらさだのぶ)です。

白河において松平定信は、たんに幕府三大改革の一つ寛政(かんせい)の改革の主導者にとどまりません。

地元を時に救い、時に盛り上げた名君です。

今回はそんな松平定信のお膝元白河での奮闘ぶりを紹介しましょう。

 

松平定信、天明の大飢饉から白河藩を救う

特に東北地方を中心に猛威をふるった天明の大飢饉。

その恐ろしさは想像を絶するものがあります。

連年の天候不順。

冷害、悪天候により作物の実りが極端に落ち、

ある藩の記録では、

「 町々浦々、道路には死人が山のように積まれ、目も当てられない 」

また
死んだ人肉を奪い合う、
人肉に草葉を混ぜ、犬肉といつわって売る、

ということがまかり通っていたと伝えられます。

いったい、幾千・幾万人が犠牲になっていたものか計り知れません。

その頃、白河藩にあった松平定信は、

コメなどの穀類を各地から回し、寄付を募り、あるいは買い集めました。

それでいて藩内に定信本人をふくめて質素倹約を徹底しました。

こうした定信の政策は見事実を結び、

なんと、
天明の大飢饉中、白河藩内に一人の餓死者も出なかった
といわれております。

松平定信と白河の特産品

定信の白河における善政はそれからもまだまだ続きます。

白河藩は海からも遠く、産業がとぼしかったのですが、

定信は馬を特産品として育成しました。

定信による特産品開発はまだあります。

白河だるま

当時、当代一流の画家谷文晁(たにぶんちょう)という人が家来におりました。

文晁にデザインさせたダルマ像。

そのちょっとコミカルでかわいらしい顔つきはクセになる人も。
実は「 鶴亀松竹梅 」の願いをこめられた縁起物。

もちろん、今も白河の代表的名産!

さすがは定信、
絵に和歌にと通じた文化人の片りんです。

白河そば

定信は天明の大飢饉が収束した後もなお、飢饉対策には入念をきわめました。

各村に穀物を蓄える「 郷倉(ごうぐら) 」を備えさせました。

さらに
冷害に強い、
として奨励したといわれるのが”そば”

今や
出雲、盛岡、信州とならぶ
「 日本四大そば処(どころ) 」のひとつとなっております。

南湖公園にこめた松平定信の思い

弱者救済にとても心を砕いたとされる松平定信。

幕府でも石川島(今の東京都中央区佃あたり)に犯罪者更生施設人足寄場(にんそくよせば)をもうけたとされております。

そして、この白河でも

南湖公園

というのを造りました。

元々は「 大沼 」と呼ばれる湿地帯だったのですが、

堤を造って水をため、

山水の風雅ある庭園にしたてあげてしまいました。

南湖とは
かの詩仙”李白”が中国の名勝洞庭湖に詠んだ漢詩、
「 南湖秋水夜無煙 」
に由来しております。

定信のこの公園を造ったモットーは

「 士民共楽 」

武士も民も一緒に楽しもう、

です。

さらに園内には

「 共楽亭 」

という茶室があります。

松・桜・カエデ……。

四季折々に移り行く風情を楽しめます。

きょうのまとめ

白河はほかにも

奥州三関のひとつであった「 白河の関跡 」。

秋の夜闇に多くの提灯(ちょうちん)を高々とかかげ、神輿(みこし)とともに練り歩く「 白河提灯まつり 」

最近話題のあっさり醤油系「 白河ラーメン 」

など、観光スポットは盛りだくさんです。

① 松平定信はそのお膝元白河藩において天明の大飢饉に果敢に対策を打ち、見事「藩内に餓死者なし」という大変な功績を残した

② 松平定信は藩に馬や白河だるまなどの産業を興し、藩内の経済を潤した

③ 松平定信が白河に造営した南湖公園には「身分の垣根なくみんなで楽しんで」という意図がこめられていた

一度、地元の英君「 松平定信 」の息づかいをしのんで足をのばしてみるというのはいかがでしょうか。

今と昔の交錯する白河をぜひ存分にご堪能ください。

 

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