立花宗茂の子孫はいるの?

 

立花宗茂(たちばなむねしげ)は「 西に立花宗茂あり 」と言われるほど

戦上手で勇猛果敢な武将でした。

豊臣秀吉の九州征伐では、島津家の大軍を前に一歩も引かずに奮闘し名をあげました。

そんな泣く子も黙る立花宗茂の子孫って気になりませんか?

立花宗茂の子孫について調べてみました。

立花宗茂の子孫は?

立花宗茂の子孫はいるのでしょうか?

子孫について調べてみましたので一緒に見ていきましょう。

立花 忠茂(ただしげ)

最初に言ってしまうと、宗茂に実子はいません。

宗茂は生涯に3人の妻を迎えていますが、子宝には恵まれませんでした。

宗茂の子孫は、実弟・立花直次(なおつぐ)によって続いていきます。

宗茂の後を継いで筑後柳河藩(ちくごやながわはん)2代藩主となったのが直次の四男であった立花忠茂でした。

忠茂は生まれると当時に、宗茂の養子となっています。

忠茂は、養父・宗茂に負けず劣らず勇猛な武将でした。

日本の歴史上最大規模の一揆となった島原の乱では、忠茂自ら本丸に突撃し落城させる活躍をみせました。

宗茂の気質を大きく受け継いだ息子だったようです。

立花 鑑寛(あきとも)

立花鑑寛は、筑後柳河藩12代藩主です。

明治維新の廃藩置県により最後の藩主となってしまいます。

鑑寛は、幕末の動乱の時代において、洋式銃を積極的に取り入れたり、産業奨励のために物産会所を設置するなど、藩政改革を行った名君です。

戊辰戦争では新政府軍として会津に進軍しています。

その後、藩知事となり廃藩置県を迎えました。

「 鑑(あき) 」という字は、宗茂の養父であった立花道雪(たちばなどうせつ)以前の立花家の当主が代々用いてきたものです。

2代藩主・忠茂以後の立花家当主は、この「 鑑 」の字を用いることが多いようです。

立花宗鑑(たちばなむねあき)

宗茂の子孫は現在も続いています。

現在の立花家の当主は立花宗鑑さんです。

17代目の当主で、立花家に関する資料の保護や発掘、調査を行う「 立花財団 」という公益財団の理事長としてご活躍されています。

今も福岡県柳川で生活なさっておられるようです。

お殿様が今も変わらず同じ土地に暮らしている、というのは地元の人にとっては嬉しいことこの上ないのではないでしょうか。

宗鑑さんのご長男は、日本航空の機長さんをなさっているとか。

現在の立花家のご当主も、変わらずご活躍なさっていられるようです。

現在まで続く立花家は、宗茂の実弟・直次の子孫ですが、直次は兄・宗茂に劣らない勇猛な武将でした。

朝鮮出兵では、敵に囲まれて窮地に陥っていた宗茂を助け出したこともあります。

弟の子孫であっても、立花家の勇猛果敢な血は同じですね。

きょうのまとめ

立花宗茂の子孫についてご紹介しましたが、いかがでしたか?

関ヶ原で西軍につき、改易されますが、後に大名に復帰します。

その後、柳河藩は幕末まで続き現在まで脈々と血が受け継がれていると言うのは、

驚きでもあり嬉しくもありますね。










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