張良とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

張良ちょうりょうは韓信、蕭何しょうかと並ぶ、前漢の功臣として知られています。

張良はもともとは韓の貴族だったのですが、始皇帝の暗殺に失敗した後、劉邦りゅうほうの部下になって才能を発揮します。

劉邦は張良のおかげで命を落とさずに済んだこともありました。

漢の建国後も優秀な部下として国を支えることに尽力した張良について、

今回は簡単なエピソードも交えて紹介していきます。

 

張良はどんな人?

プロフィール

張良像(晩笑堂竹荘画伝)

  • 出身地:潁川郡えいせんぐん、中華人民共和国の河南省中部
  • 生年月日:不詳
  • 死亡年月日:紀元前186年、月日不詳(享年?歳)
  • 優れた戦略で劉邦を支え、前漢建国後も国の安定のために尽力した功臣

 

張良 年表

年表

紀元前?年 現在の中華人民共和国、旧潁川郡に生まれる

紀元前218年 現在の河南省新郷市原陽県を始皇帝が通ったところで、暗殺を計画して失敗

紀元前209年 陳勝ちんしょう呉広ごこうの乱に乗じて挙兵して劉邦と出会い、彼の部下に

紀元前206年 鴻門の会で暗殺されそうになっていた劉邦を助ける

紀元前205年 彭城ほうじょうの戦いで劉邦が項羽に大敗

紀元前203年 劉邦に項羽と結んでいた講和を破って軍を攻めることを進言

紀元前202年 劉邦、前漢を建国し初代皇帝に

紀元前186年 病気のため、死去

 

張良の生涯

劉邦の仕える

陳勝・呉広の乱で張良が挙兵しようとしたとき、兵がわずか100人ほどしか集まりません。

そんなときに出会ったのが漢の劉邦で、張良は劉邦に仕え秦を倒すことを選びました。

張良は劉邦に出会う前にも何人かの武将に自分の戦術を説明し、自分を雇うように願い出ていましたが、劉邦以外の武将は張良の戦術に理解を示さなかったそうです。

そのため自分の戦術にきちんと耳を傾けて、さらに戦術を採用してくれた劉邦に対してとても感謝していました。

張良の機転

楚の項羽と漢の劉邦が、秦の都咸陽郊外(現在の陝西省西安市臨潼区)で会見した

鴻門の会では項羽の刺客によって劉邦が暗殺されそうになっているところを機転を利かせて救い出します。

項羽が率いていた楚軍が弱っているときに劉邦に追い打ちをかけさせ、ついに負け知らずの武将だった項羽に勝利する手伝いをしています。

劉邦は皇帝になってから疑い深い性格になり、数多くの功臣に対して謀反を疑ったり処罰をしたりするようになりますが

張良は持ち前の機転を利かせて劉邦が亡くなるまで臣下として仕え続けたのです。

 

張良にまつわるエピソードや伝説

張良についてのエピソードを2つ紹介します。

始皇帝に命を狙われていた

張良は一度、始皇帝暗殺しようとして失敗しています。

そのときの暗殺計画は、

「力士の力を借りて重い鉄槌てっついを始皇帝の車にぶつける」

というものでしたが、鉄槌は始皇帝が乗っていた車ではなく、副車のほうに当たってしまいます。

この出来事で始皇帝は激怒し、張良は全国で指名手配され殺そうとしました。

張良は偽名を使って何とか生き延びることになります。

謀反を未然に防ぐ

漢の建国後も、劉邦は地方で起こる反乱などを自ら赴いて鎮圧しなくてはならず、なかなか国は安定しませんでした。

劉邦は自分の臣下で功績が高かったものにはすぐに恩賞を与えています。

しかし自分の苦手な人物に対する恩賞は功績が高くても後回しにしてしまっていたため、宮中でも謀反を計画する密談があったほど、いつ反乱が起きてもおかしくない状態だったようです。

劉邦はこの状況を何とかしようとして張良に相談します。

すると張良は、

「功績はあるけれど陛下が一番憎んでいて、そのことを皆が知っているのは誰ですか」

と劉邦に聞きました。

劉邦は

「それは雍歯ようしだ。昔私は彼に裏切られて大いに苦しませられた。本当は殺してやりたいほど憎いが、きちんと功績もあるから我慢している。」

と答えます。

それを聞いた張良は

「雍歯に先に恩賞を与えれば、皆は安心して謀反を企てることもなくなるでしょう」

と進言し、劉邦が雍歯の恩賞を発表すると、張良の思惑通り謀反の密談は聞こえなくなった、という記録が残っています。

 

軍師公明の名言から張良について学ぶ

軍師として有名な諸葛孔明しょかつこうめいには沢山の名言が残っています。

諸葛は、劉邦の忠実な臣下であった張良に対して憧れを持っていたようです。

彼の名言の中には、なぜ張良が劉邦の下で出世して信頼を得ることができたのかを読み取れる名言もありました。

孔明の名言と張良について1つ紹介します。

小善を必ず録し

諸葛
小善を必ず録し、小功を必ず賞せば、則ち士勧まざる無し

しょうぜんをかならずろくし、しょうこうをかならずしょうせば、すなわちしすすまざるなし

この名言は

「小さな善行でも必ず記録し、小さな功でも必ず賞すれば、部下はすすんで働かないことがない」

という内容で、部下との関係をよくする秘訣といえるでえしょう。

無名の戦略家だった張良の戦略に、劉邦は耳を傾けて張良の才能を評価し、実際に張良の戦略を用いることで張良から大いに感謝されました。

張良が劉邦にずっと忠実だったのは、劉邦が張良の才能をきちんと評価して、そのことが張良に伝わるようにふるまっていたからです。

また、劉邦が皇帝の座についてから張良が謀反を未然に防ぐような対策をすぐに取ることができたのは、

張良自身が「小さなことでもきちんと評価することが人との関係をよくする秘訣」、

逆に言えば「功績がある人をきちんと評価しなければ、その人と自分の関係が悪くなってしまう」

ということをきちんと理解していたからだということができるでしょう。

 

きょうのまとめ

最後までお読み頂きありがとうございました。

張良についていかがでしたでしょうか。

張良とは?

① 韓信、蕭何と並ぶ、前漢の功臣

② 機転がきき何度も劉邦のピンチを救ってきた

③ 始皇帝を暗殺しようとして失敗した過去がある

劉邦と張良の関係からは、円満な人間関係を築く秘訣を学ぶことができると思います。

 

目次に戻る ▶▶

 

合わせて読みたい
関連記事 >>>> 「張良はどんな最期を遂げたの?」

関連記事 >>>> 「諸葛孔明と孔明があこがれた張良」

関連記事 >>>> 「張良は軍師のお手本」

劉邦の年表を含む【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
関連記事 >>>> 「劉邦とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】」

 

その他の世界の偉人ははこちらから

関連記事 >>>> 「世界の偉人一覧」

 










合わせて読みたい記事



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

14 − twelve =