杉田玄白とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

オランダ語で書かれた医術書『ターヘル・アナトミア』を翻訳し、

『解体新書』を著した杉田玄白

一人のお医者さんとして大変に優れ、

また、それが広く世間のためならば、
だれもが手を引っこめてしまうような難事業を、
命がけの情熱でもって手がけ、
ものにしてゆきました。

今回はそんな”大医”の人となりを簡単にまとめてみました。

 

杉田玄白はどんな人?

  • 出身地:江戸(現在の東京)
  • 生年月日:1733年10月20日
  • 死亡年月日:1817年6月1日(享年83才)
  • 江戸時代後期の蘭方医。医術書『解体新書』を著す。

 

杉田玄白の年表

年表

西暦(年齢)

1733年(0才)杉田玄白生まれる

1752年(19才)杉田玄白、小浜藩(今の福井県南西部一体)医となる

1757年(24才)杉田玄白、日本橋に開業し、町医者となる

1771年(38才)杉田玄白、千寿骨ヶ原の刑場で腑分け(ふわけ。解剖のこと)を実見

1774年(41才)杉田玄白ら、『解体新書』を刊行

1817年(83才)杉田玄白、亡くなる

 

杉田玄白、家業を思いがけず継ぐことに

杉田玄白は小浜藩医の子どもとして生まれました。

お兄さんが二人いらっしゃっいました。

しかし、
上のお兄さんは早くに亡くなり、
下のお兄さんは養子に出てゆきました。

そのため、玄白はその家業を思いがけず継ぐこととなりました。

杉田玄白『ターヘル・アナトミア』に衝撃を受け、是が非にでも買う!!
玄白にとって大きな転機となったのが、
ドイツ人医師が記し、オランダ語に翻訳された医書

『ターヘル・アナトミア』

との出会いです。

書かれていることがあまりに精巧であり、説得力があったので、

よっぽど

「なんじゃこりゃっ!」

と思ったらしく、

藩に借金をしてまで当時高額だったそれを買い取りました。

 

無謀な仲間たちが集まってしまいました・・・

さて、早速、中川淳庵、前野良沢などといったお医者さん仲間たちで寄り集まり、

「買った!?君、ついに買った!?ならさっそく……」

と、刑場に訪れ、刑死者の解剖された様子を見学に訪れます。

「すごい!?これすごいね!?『たあへるあなとみあ』に書いてることって、本当に本当に『本当なんだね』」

「いや、これ。わたしたちがやらなきゃ」

「そうだよね。だってお上だって、だれだってやらないんだもん。だから、わたしたちがやって世に残さないと、広めないと」

『ターヘル・アナトミア』の翻訳です。

こうして、男たちの無謀な戦いは始まったのです。

 

玄白ら、オランダ語の大海に乗り出す!!

何せ、メンバーは全員オランダ語にうといです。

前野良沢が蘭学者の青木昆陽に習ったりして、せいぜい基礎がいくらかいける程度。

ほかの方々にいたってはサッパリです。

それで医学の専門書を訳そうと……。

もちろん、今みたいにパソコンやスマホで「translate」ポチッとすると、奇麗に(?)訳してくれるなんてことはありません。

大きめのちゃんとした辞書も、教えてくれる先生も、なにもかも”ないない”づくしで、やろうというのです。

「心配ない。私たちには夢がある(と言ったかどうかはわかりませんが)」

……。

オランダ語なめんな!
です。

おかげさまで玄白はこの時の苦労を後にこのようにふり返っております。

「舵(かじ)や櫂(かい)をなしで、大海に乗り出したよう」

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「草葉の陰からは絶対いや!」杉田玄白おおいにあせる

しかも、玄白はメチャあせっていました。

年がそろそろ40になるかならないか。

今とはちがって江戸時代のことです。

だから、
「早くしないと。草葉の陰から(死んでしまってから)この業績の終わりを見とどけてしまう」

と、せきたてられるようにやりましたので、

なんとあの刑場の解剖を見てからほんの4年ほどの間に刊行まで持っていってしまいました。

 

『解体新書』刊行後の杉田玄白と彼の残した名言

『解体新書』刊行後、それは将軍家に献上されるまでになりました。

そして、玄白の外科医としてですが、

その評判もかなり高かったようです。

「毎年千人あまりも療治」
「江戸一番の上手」

など。

玄白はその後、
大病にあいながらも83才まで見事生きぬきました。

生前こんな名言を残しております。

「一滴の油、これを広き池水のうちに点ずれば、散じて満池に及ぶとや。」

(一滴の油でも、池に点じてみなさい。やがて池全体に広がってゆくから)

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きょうのまとめ

杉田玄白は70才ごろ、
“養生七不可”において
「健康でありたいなら、なにごともほどほどにしなさい」
と説きました。

『解体新書』を著した時の”無謀さ”からすると、打って変わったようです。

① 杉田玄白らはかなりの無謀に挑み、乗り越え、『解体新書』を著した

② 杉田玄白は外科医としても大変に評判だった

③ 杉田玄白の名言「一滴の油、これを広き池水のうちに点ずれば、散じて満池に及ぶとや。」

この人の生にはそんな極端な”動”と”静”が同居しています。

しかし、
それがまた、大変な説得力をともない、味わい深いのはなぜでしょう。

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