菅原道真には
正室・島田宣来子(道真の師である島田忠臣の娘)や
妾との間に多くの子供がいました。
ということは、左遷の末に非業の最後を遂げたとはいえ、
その子孫は残っていそうです。
道真に繋がるそれ以前の家系から彼の子孫にいたるまで見ていきましょう。
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菅原道真の家系図
それでは、菅原道真の家系図をみていきましょう。
道真にいたるまでの菅原家
道真の父は菅原是善、母は伴真成の娘でした。
それぞれ由緒のある家系の出身ですので、道真はとても興味深い血筋の人物です。
道真の祖先は神であり、横綱であった!?
道真の家系菅原氏の祖先は、突き詰めていくとなんと
天穂日命と呼ばれる日本神話に出てくる男神と言われています。
その14代目の子孫になる人物に野見宿禰と呼ばれる『日本書紀』にも登場する人物がいます。
出雲国の勇士で、垂仁天皇の命により奈良の力自慢・当麻蹴速と捔力(相撲)での勝負に勝った初代横綱と言われています。
のち、奈良一帯の土地を治めて垂仁天皇に仕えました。
その時に、皇族や貴人が亡くなったときの殉死を辞めさせ、代わりに埴輪を使うことを提案し、土師臣の姓を与えられたそうです。
そしてそこから始まった土師氏は
代々、古墳造営、葬送儀礼に関わった氏族となりました。
菅原姓は、道真の曾祖父菅原古人の時に土師氏より氏を改め、誕生した姓です。
道真の祖父菅原清公と父はともに大学頭・文章博士に任ぜられ、
侍読(天皇に学問を教授する学者)も務めた学者の家系であり、当時は中流の貴族でした。
母方の伴氏は、大伴旅人、
大伴家持ら高名な万葉歌人を輩出している家系です。
つまり、文武に優れた血筋を引いた家系だったと言えますね。
道真以降の菅原家
道真には妾もおり、
生母が不明な者を含めて15人以上の子供がいたと言われています。
息子たちの大半は道真が太宰府へ流された際に、都から追い出されて地方へと飛ばされることになりました。
しかし菅原道真の死後、相次ぐ天変地異や、道真を左遷に追い込んだ藤原時平の子孫たちの相次ぐ急死。
さらには930年の清涼殿落雷事件が起き、その惨状を目の当たりにした醍醐天皇が崩御。
道真の怨霊を恐れた朝廷は子孫たちを京に呼び戻しています。
現在にいたる子孫
平安時代中後期は、一時、紀伝道の分野では大江氏が優勢で、公卿となる者が少なかった菅原家。
しかし、鎌倉時代初期の菅原為長が正二位・参議・大蔵卿に昇進して以降、子孫は歴代公卿となり、朝廷における紀伝道の要職を独占しました。
特に道真の長男だった高視の子孫は中央貴族として残り、
・唐橋家
・五条家
・東坊城家
・清岡家
・桑原家
の六家が生まれました。
明治時代に高辻家から西高辻家が分かれ、太宰府天満宮の社家として現代に至っています。
道真の子孫とされる歴史上の人物
私たちが知る日本史上の有名人物も幾人かの名前があがっています。
菅原孝標女:『更級日記』の原作者。菅原道真の長男・菅原高視の子孫です。
前田利家:戦国大名。加賀藩前田氏の祖。豊臣政権の五大老の一人。
大隈重信:政治家であり、教育者。早稲田大学の創設者。
松平定勝:徳川家康の異父弟。
以上の人々以外にも、
多くの子孫たちが日本史上で活躍していたことがわかっています。
道真の子孫として現代につながる血筋の人々
皆さんがご存知の有名人の中にも道長の子孫として知られる人がいます。
松平定知:フリーアナウンサー。元NHKエグゼクティブアナウンサー
菅直人:政治家、弁理士。第94代内閣総理大臣。
入江たか子(本名:東坊城英子):明治から昭和にかけての映画女優。
三ツ間卓也:群馬県高崎市出身のプロ野球選手。投手。
岡田卓也:実業家。イオングループ名誉会長。
自称、他称含めてまだ他にもいらっしゃるようです。
元号の改正と菅原家の関係
天皇が変わると日本の元号も変わります。
その際には、漢学、歴史学、東洋思想などについて、
専門の学者たちが新しい元号の原案を考えることになっていると言われます。
そして、その元号選びに関わる学者の中に菅原道真の子孫も関わっているのだそうです。
しかし誰が関わっているかは、極秘事項。
該当する学者自身も自ら明かすことは決してないそうです。
もしも現代でも元号の決定に道真の子孫が関わっているのだとすると、学者の子孫であるということだけでなく、彼の祖先である土師氏が天皇の葬儀を司る家系だったこととの符号もあって、とても興味深いですね。
2019年に新しくなると言われている元号の選定にも菅原氏が関わるのでしょうか。
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