スターリンによる粛清。垣間見える独裁者の心

 

1920年代後半、名実共にソ連の最高指導者となった人物、

スターリン

ソ連を超大国として築き上げていく一方で、その裏では反発する人々を容赦なく切り捨てる

粛清という行為を繰り返していました。

スターリンの粛清による犠牲者は、ソ連全体でおよそ2000万人にも及ぶと言われています。

今回は、その粛清の実態について探っていきます。

 

粛清とは

スターリン

出典:Wikipedia

そもそも「粛清」とは、不正者や反対者を厳しく取り締まり、

それらを排除することによって、状態を整え清めることを意味します。

政治的な意味では、政党のなかで対立が起きたとき、

一方が他方をその政党や組織のなかから排除することで、

党内をひとつの考えのもと固めます。

こうすることによって、一党制の独裁政治が確立しやすくなります。

 

スターリンの大粛清

粛清の始まり

ソ連の初代最高指導者だったレーニンが死亡すると、党内で後継者を巡って政争が起こり、

スターリンは見事勝利を収め、2代目最高指導者の座を手に入れます。

しかし、党内に昔からいた党員たちのなかには

スターリンの台頭に危機を覚える者たちが多数いました。

そんなある日、党内でスターリンにとって最大のライバルであった

セルゲイ・キーロフという人物が暗殺される事件が起こりました。

スターリンは当時、別の派閥による仕業だと発表を行いましたが、

現在となってはスターリン自身が裏で操っていたというのが最有力説です。

そしてスターリンは暗殺を行った人物の逮捕を皮切りに、

自身の反対勢力の排除をスタートさせます。

これが後に語られる、スターリンによる大粛清の始まりでした。

不安の芽はすべて摘み取る

スターリンはまず、暗殺の犯人が関わっていたとされる支部の関係者たちを逮捕し、

強制収容所に連行。裁判の後に全員銃殺刑に処しました。

さらに党内に古くからいた有能な幹部や党員たちも、合同で陰謀を企てた、

というでっち上げの理由で逮捕され、裁判の後に銃殺刑に処されています。

最初の粛清の犠牲となった人数は、5000人以上

しかしこれはまだ、ほんの序章に過ぎないのです。

その後スターリンは秘密警察の組織を拡大させると、

市民がお互いを監視するようスパイに仕立て上げ、

その結果シベリアの強制収容所に送られることになった人数は数百万にも及びました。

さらに中央集権によって国をコントロールするために、ソビエトの農民たちを強制的に集団化し、

農場を政府が管理するようになるとソ連中で大規模な食糧不足が起こり、

数十万もの人々が飢餓に襲われ命を落としました。

もちろん、スターリンのこの強制的なやり方に反対した農民たちは、

処刑されたり強制収容所に送られるなどして粛清対象になっています。

このようにしてスターリンは、自身に歯向かう者たちを完全に抹消するため、

粛清を振りかざした恐怖政治を展開していったのです。

赤軍大粛清

1934年に起きたキーロフ暗殺事件をきっかけに始動したスターリンの粛清システムは、

やがて「赤軍」という、帝政ロシア軍が母胎のレーニンを首班に創設されていた

軍事組織にも目を向けていきました。

そして1937年、赤軍における最高の頭脳にして元帥のトゥハチェフスキーを、

ドイツのスパイ容疑という罪状で粛清対象にしました。

それ以後後ろ盾を失くした軍は、1938年までの間粛清の餌食となり、

この約1年の間に赤軍全体4万人以上の人々が粛清されました。

さらにスターリンは、この間に赤軍監視のため党内から派遣していた

2万人以上政治局員たちも殺害しているのです。

また、赤軍軍人にして共産党員だった者の30万人のうち、半数が命を落としています。

この大粛清によって上層部のほとんどを失った赤軍は、

こうして壊滅状態に追い込まれたのです。

 

行き過ぎた粛清の背景

少しでも気に食わなければ、粛清によって容赦なく排除していったスターリン。

その性格的な特徴として、とにかく疑い深い猜疑心の塊であったことが挙げられます。

人を信用しない、というよりできないのではないかと思われるほど猜疑心が強かった彼は、

一説によれば死亡後明らかになった脳内の病気が関係しているのではないか、

とさえ言われています。

恐怖政治によって人々を支配していた独裁者は、自身も常に恐怖に捕らわれていたのです。

 

きょうのまとめ

今回はソ連の独裁者、スターリンが行った粛清についてご紹介していきました。

邪魔だからという理由で、物を捨てる要領で次々と命を奪っていくその残忍さに、

独裁政権の恐ろしさを改めて感じます。

今回の記事内容を簡単にまとめると

① 粛清の始まりは、スターリンがレーニンの後継者になり、その台頭に危機感を抱いた党内幹部の暗殺が口実になった

② 反対勢力だけでなく、反発する農民や市民、赤軍など、スターリンが少しでも危険と見なせば粛清対象となり、恐怖によって人々を支配した

③ 大勢の犠牲者を出した大粛清の背景には、病的とも言えるスターリンの猜疑心が関係している

「鋼鉄の人」と自ら名乗ったスターリン。

たとえその冷酷さを自覚していたとしても、

多くの人命による犠牲の上に成り立たせた力には、

どこかで必ずしわ寄せが来るものです。

 

スターリンの年表を含む【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
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