坂本龍馬のお墓は意外な場所?中岡慎太郎と一緒に眠る

 

坂本龍馬のお墓は、どこにあるかご存じでしょうか?

もしかしたら、龍馬のふるさと・土佐にあると思っている方も多いかもしれません。

ですが実は龍馬のお墓は、京都にあるのです。

と言うことで今回は、坂本龍馬のお墓の場所などについてご紹介します。

 

京都にある龍馬の墓

坂本龍馬のお墓は、京都霊山護國神社(きょうとりょうぜんごこくじんじゃ)にあります。

京都霊山護國神社は、明治維新で活躍した志士たちをおまつりしている神社です。

アクセスしやすい京都霊山護國神社

京都市内にあるため、とてもアクセスしやすい場所にあります。

人気の観光スポットである清水寺や八坂神社の近くです。

京都へ旅行に行かれる際は、ぜひ訪れてみてくださいね!

さて、龍馬のお墓の話に戻ります。

お墓と言っても、一般的な墓地にあるのではありません。

龍馬のお墓に手を合わせるには、山を登っていく必要があります。

ひとりじゃない龍馬

龍馬のお墓のすぐ隣には、中岡慎太郎(なかおか・しんたろう)のお墓が並んでいます。

中岡慎太郎はどういう人物だったのかについては、あとで詳しく書きますね。

また、意外と知られていないのですが、あともう一人、

この場所で眠っている人物がいるのです。

それは山田藤吉(やまだ・とうきち)という元力士で、

龍馬の用心棒をしていた人物だそうです。

藤吉は、龍馬と中岡慎太郎が京都の近江屋で襲撃されたとき、一緒に犠牲となりました。

三人のお墓はとても眺めの良い場所にあり、京都の町を一望できます。

ここでしばらく、ゆっくりとすることをオススメします。

そこからまた登っていくと、木戸孝允(きど・たかよし)夫妻の立派なお墓がありますよ。

また神社の境内にある霊山歴史館では、幕末に活躍した志士たちの遺品などが展示されています。

こちらへも、ぜひ龍馬のお墓とあわせて行ってみてくださいね。

中岡慎太郎について

中岡慎太郎は1838年、土佐(現在の高知県)で生まれました。

龍馬より三つ年下で、文武両道の少年時代を送ったといわれています。

龍馬といえば「 海援隊 」の隊長であったことが有名ですが、

中岡は「 陸援隊 」の隊長であったことでも知られています。

脱藩して長州に亡命

中岡は1861年、土佐勤王党(とさきんのうとう)に入ります。

土佐勤王党というのは、

土佐藩で結成された尊皇攘夷(そんのうじょうい)派の組織です。

尊皇攘夷は天皇や皇室を敬い、外国人を追い払おうという考え方のことです。

幕末の日本では、この尊皇攘夷運動がさかんに行われていました。

そういった活動を通じて、中岡は長州の久坂玄瑞(くさか・げんずい)らと出会います。

次第に尊王攘夷派は、江戸幕府によって弾圧されることになります。

そして藩からも追われる立場になってしまった中岡は、土佐藩から脱藩します。

その後は長州の「 忠勇隊(ちゅうゆうたい) 」に入りました。

中岡慎太郎がいなければ薩長同盟は実現しなかった!?

そして中岡は薩摩と長州の間を飛び回ることになり、

最終的には薩長同盟を実現させます。

この薩長同盟(薩長連合ともいう)こそが、倒幕の主力となっていくのです。

薩長同盟というと、その立役者としてまず名前が挙がるのは、やはり坂本龍馬です。

しかし、中岡慎太がいなければ薩長同盟は実現しなかったと言う専門家も多いようです。

このように、新政府成立のために重要な働きをした中岡ですが、

1867年に龍馬とともに京都河原町の近江屋で暗殺されてしまいました。

きょうのまとめ

以上、坂本龍馬のお墓の場所と一緒に眠る中岡慎太郎についてご紹介しました。

龍馬のお墓は、

① 京都市内の有名観光地からすぐ

② 中岡慎太郎・山田藤吉と並んでいる

です。

ということで、京都に行かれた際には、ぜひ龍馬のお墓に手を合わせに行ってくださいね!

歩きやすい靴で行くことをオススメします。

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