「 維新三傑(いしんさんけつ) 」の一人でもある西郷隆盛ですが、
その本当の姿を伝える写真は一枚も残されていないといいます。
西郷が亡くなった後に描かれた肖像画は、いくつか存在しています。
ですがその肖像画にも、色々と訳があるようです。
そこで今回は、西郷隆盛の写真・肖像画にまつわるエピソードを簡単にご紹介していきます。
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大の写真嫌いだった西郷隆盛

なぜ西郷隆盛の写真は残っていないのかというと、西郷はかなりの写真嫌いだったからです。
非常に有名なのは、明治天皇とのエピソードです。
明治天皇は西郷の写真を所望したとき、西郷はその提出をかたくなに拒んだと言われています。
また、大久保利通との逸話も有名です。
西郷とは違い、大久保利通は写真が大好きだったようです。
そのため、いくつもの本人の写真が現存しています。
そんな大久保がアメリカから自身の写真を西郷に送ったところ、
「 もう、写真を撮るのはやめなさい 」と手紙に書いたそうです。
なぜそんなに西郷は写真を嫌がったのかというと、暗殺を恐れていたという説があります。
しかしそれは、定かではありません。
とにかく、現在では西郷隆盛の写真は存在しないというのが定説のようです。
有名な肖像画すら当てにできない?

写真嫌いの西郷隆盛でしたが、彼を描いた有名な肖像画があります。
それはイタリア人銅板画家のキヨソネ(キヨッソーネ)が描いたものです。
キヨソネによる肖像画
1875年、キヨソネは日本の政府に招かれて銅版画技術の指導を行っていました。
当初、明治政府が発注した「 明治通宝(ゲルマン紙幣とも) 」の製造にも関わった人物です。
そんなキヨソネでしたが、西郷隆盛の肖像画を描くことになりました。
ですが困ったことに、参考となる西郷の写真はありません。
もちろん、西郷との面識もありませんでした。
そこでキヨソネは、西郷隆盛の弟・西郷従道(つぐみち)と従兄弟であった大山巌(おおやま・いわお)の顔をモンタージュのように合成したと言われています。
無茶な依頼に、よくキヨソネも応えましたよね。
唯一面識のある人物によって描かれた肖像画がある!?
キヨソネ以外にも、西郷隆盛を描いた肖像画はいくつかあります。
しかし、いずれも西郷隆盛を見たことがある人物によって描かれた作品はないと思われてきました。
ですがなんと2003年、西郷隆盛と面識があったかもしれない人物によって描かれた肖像画が発見され、話題となりました。
大分県日田市で発見されたもので、当時の有名な画家・平野五岳(ひらの・ごがく)によって描かれたそうです。
平野は西南戦争が起こる直前、大久保利通の密命で鹿児島まで西郷に会いに行ったのではないかと言われています。
もし実際に会いに行っていれば、西郷隆盛の顔を知る人物によって描かれた唯一の肖像画ということです。
板垣退助が描かせた西郷の肖像画

自由民権運動で有名な板垣退助は、晩年に西郷隆盛の肖像画を描かせたといいます。
というのも、上野の西郷隆盛像があまりにも本人に似ていないことが気に入らなかったようです。
確かに上野にある銅像は、似ているだの似ていないだのと、賛否両論あったことでも知られています。
板垣といえば、征韓論で敗れ、西郷とともに下野した仲でしたよね。
そこで板垣は、光永眠雷(みつなが・みんらい)という画家に指示して描かせたそうです。
気になる完成度はと言うと、高島鞆之助(たかしま・とものすけ)という薩摩出身の陸軍中将まで務めた人物曰く、
「 一番能く肖て居る 」そうです。
板垣退助の執念が感じられます。
きょうのまとめ
今回は、西郷隆盛の写真と肖像画にまつわる逸話をいくつかご紹介しました。
西郷隆盛は、
②キヨソネによって描かれた有名な肖像画は、弟と従兄弟をモデルにした
③銅像があまりにも似ていなかったため、板垣退助も西郷の肖像画を描かせた
2017年8月現在、西郷隆盛を写したとされる本物の写真は出てきていません。
ですが、これから先、発見される可能性もゼロではないかもしれません。
期待しましょう!!
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