坂本龍馬を暗殺した犯人とその理由とは?疑われる説

 

幕末のヒーロー・坂本龍馬さかもとりょうま

大政奉還が実現して間もなく、何者かによって暗殺されました。

気になるのはその犯人ですよね。

そこで今回は、坂本龍馬を暗殺した犯人その理由について簡単にご紹介していきます。

 

近江屋襲撃事件について

坂本龍馬

坂本龍馬
出典:Wikipedia

1867年11月15日、京都河原町で醤油屋を営む近江屋おうみやで坂本龍馬と中岡慎太郎が何者かによって暗殺されました。

大政奉還が行われたのがこの年の10月15日でしたから、それからわずか1ヶ月後のことですね。

龍馬は近江屋の二階で、中岡慎太郎と話をしていたそうです。

そこへ男たちが数名上がってきて、二人に斬りかかりました。

龍馬はその場で命を落としましたが、その日は龍馬33歳の誕生日でした。

またそれから2日後、中岡慎太郎もまだ30歳という若さで息を引き取ります。

 

龍馬たちを暗殺した犯人とその理由は?

龍馬たちを殺した犯人は、自らを十津川郷士とつかわごうしと名乗っていたそうです。

しかし、いまだにその犯人は特定されているわけではありません。

龍馬暗殺の犯人は、今なお幕末最大のミステリーとなっているのです。

最有力!実行犯は京都見廻組説

ただ、現在では京都見廻組きょうとみまわりぐみが実行犯であるとほぼ断定されています。

京都見廻組とは幕府の役人たちによって組織されていた、京都の治安維持部隊です。

京都市内にある霊山歴史館には、京都見廻組であった桂早之助かつらはやのすけという人物が龍馬を斬った際に使ったとされる刀も展示されています。

ではなぜ京都見廻組の犯行が明るみに出たかというと、自供した人物がいたからです。

その人物は今井信郎いまいのぶおといい、襲撃した他の人物6名の名前を告白しました。

しかし今井が口にした他6名は鳥羽・伏見の戦いで全員戦死していて本当かどうかがわからず、さらに今井は晩年、その供述の一部をひるがえしています。

これは今井の売名行為だったのではないか?とも疑われています。

また、元見廻組の渡辺篤わたなべあつしという人物も、自分が龍馬を斬ったと証言しています。

二人の証言は食い違っていますが、当時の政治情勢を踏まえると、いずれにせよ京都見廻組の犯行である可能性が高いとされています。

ではなぜ?

京都見廻組は龍馬を斬ったのでしょうか。

それは龍馬が寺田屋事件で、幕府の役人を射殺したからだと言われています。

龍馬は追手から逃げる際、ピストルで何人かを殺しています。

では、なぜ京都見廻組が龍馬暗殺の犯行を隠したのかという疑問が湧いてきます。

龍馬には役人殺害の罪があるので、龍馬暗殺の犯行をひた隠す理由はないはずです。

それは関係のない中岡慎太郎までも殺してしまったからだと言われています。

事実だとしたら、偶然巻き込まれてしまった中岡慎太郎がかわいそうですよね・・・。

「こなくそ!」新選組説

今でこそ京都見廻組による犯行が有力と見られていますが、

事件の直後は新選組がやったと信じられていたそうです。

根拠としては、2日ほど生き延びた中岡慎太郎の証言にありました。

襲撃時、実行犯は「こなくそ!」と叫んでいたそうです。

この「こなくそ」は伊予地方の方言で、「このやろう」などという意味だそうです。

龍馬は当時の幕府の体制に反対していた人物として知られています。

これに対して、新選組は幕府側の組織です。

すなわち、龍馬と新選組は政治的な立場では対立していたと言えます。

そして新選組には、伊予松山出身の原田左之助はらださのすけという人物がいました。

そのため、原田の犯行であると当時は信じられていたようです。

新選組の局長であった近藤勇こんどういさみは、犯行を否定するのに苦労していたそうですよ。

薩摩藩黒幕説

実行犯は京都見廻組ですが、黒幕は薩摩藩ではないかとする説もあります。

薩摩藩が見廻組に対して、龍馬の居場所を教えたのではないかと考えられているようです。

武力によって幕府を倒そうと思っていた薩摩藩の西郷隆盛さいごうたかもり大久保利通おおくぼとしみちにとっては、大政奉還を推し進めた龍馬が邪魔だったとするのが理由です。

そのため、薩摩側が見廻組をそそのかして暗殺したのではないかとも言われています。

もっとも、西郷と龍馬は互いに認め合っていた間柄として知られています。

しかも中岡慎太郎は西郷たちと同じ考え方を持っており、さらに薩摩藩の小松帯刀こまつたてわきも大政奉還派であったことから、

薩摩藩が黒幕というのは否定されている説でもあります。

紀州藩・いろは丸事件の報復説

最後のご紹介するのは、実行犯は新選組で、その黒幕は紀州藩(現在の和歌山県)であったという説です。

なぜ紀州?と思われるかもしれませんが、龍馬はかつて紀州藩に恨まれるようなことをしていたのです。

そのきっかけとなったのは、「いろは丸」という蒸気船でした。

それは蝦夷えぞ(現在の北海道)を開拓するために、龍馬が大洲藩おおずはん(現在の愛媛県)から借りていた船です。

いろは丸は鞆の浦とものうらの沖合で、紀州藩の船と衝突してしまいました。

それにより、いろは丸は大破して積み荷もすべて沈んでしまいまいした。

そこで龍馬は紀州藩へ賠償金を要求します。

問題なのは、より有利な条件を引き出すために世論の操作を行い、さらには積み荷の虚偽申告を行ったことでした。

実際には積んでいなかった高額の荷物を積んでいたと嘘をついたそうです。

それだけでなく、いろは丸側にも航海上のルール違反があったと言われています。

しかし、龍馬側は後藤象二郎ごとう・しょうじろう五代友厚ごだいともあつらの力を使い、紀州藩に多額の賠償金を支払わせました。

紀州藩が恨みを持つのもわかりますよね。

なんとその賠償金の支払からわずか一週間ほどで、龍馬は暗殺されます。

紀州藩が疑われた理由もわかります。

そのため龍馬が暗殺された際には、紀州藩の三浦休太郎みうらきゅうたろうという人物が黒幕ではないかと疑われたそうです。

龍馬暗殺の直後、当時まだ海援隊の一員であった陸奥宗光むつむねみつらが復讐のために三浦を襲うという事件も起きたほどでした。

 

きょうのまとめ

今回は、坂本龍馬を暗殺した犯人と理由についてご紹介しました。

4つほどご紹介しましたが、これがすべての説ではありません。

同じ犯人であっても、違った理由で疑われている説もあります。

この幕末最大のミステリーが解ける日は来るのでしょうか?

興味を持たれた方は、真犯人を推理してみてくださいね!

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