坂上田村麻呂の子孫は百人一首の坂上是則!蹴鞠もうますぎて天皇からご褒美

 

「朝ぼらけ 有明の月と みるまでに 吉野の里に ふれる白雪」

小倉百人一首にも収められているこちらの歌。

作者は平安時代に蝦夷討伐で活躍した武人・坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろの子孫であることをご存知でしょうか。

そこで今回は、坂上是則これのりという人物についてご紹介します。

 

坂上是則とは?

坂上田村麻呂から数えて5代目。

坂上是則は平安時代中期の役人であり歌人、そして蹴鞠けまりの名人でもありました。

三十六歌仙の一人

冒頭でご紹介した歌ですが、

夜がほのぼの明ける頃、夜明けの空に残った月の光が降り注いでいるのかと思うほど、

吉野の里に雪が白く降り積もっている

という意味です。

さらに坂上是則は三十六歌仙(藤原公任きんとうが選んだ、36人の優れた歌人。小野小町や紀貫之などがいる。)の一人にも選ばれており、

征夷大将軍の子孫らしくないと言えば、らしくないですよね。

ですが坂上氏の家系図をさかのぼってみると、阿知使主あちのおみにたどり着きます。

阿知使主とは古代に日本にやって来た渡来人とらいじんで、東漢氏やまとのあやうじという氏族の祖。

東漢氏といえば

文筆

財務

外交

などに優れていたことで有名で、そこから分かれたのが坂上氏なのだそう。

その後坂上氏は、「武」でも存在感を放つようになります。

ですが、もとをたどれば頭の良い氏族だったのですね。

ということで、坂上是則という優れた歌人が出たことにも納得です。

蹴鞠の名人

坂上是則は歌人としてだけでなく、蹴鞠けまりの名人でもありました。

蹴鞠とは鞠を落とさずに何回けり上げられるか、という遊びのことです。

一人ではなく、通常は8人で行います。

蹴鞠は、当時の貴族の間で大流行(のちには武士たちの間にも浸透)。

坂上是則は御所で催された蹴鞠の会で206回連続で鞠を蹴り、醍醐天皇からご褒美をもらったという逸話を持っています。

現在のようなサッカーのリフティングとは違い、貴族の衣装で革製の鞠を蹴ったのですから驚きですよね。

 

きょうのまとめ

今回は坂上田村麻呂の子孫・坂上是則について、簡単にご紹介しました。

坂上是則とは?

① 坂上田村麻呂から数えて5代目の子孫

② 三十六歌仙の一人にも選ばれた、優れた歌人でもあった

③ 醍醐天皇から褒美を賜るほどの蹴鞠の名人だった

こちらのサイトでは他にも、坂上田村麻呂にまつわる記事をわかりやすく書いています。

より理解を深めたい方は、ぜひお読みになってくださいね。

 
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