大塩平八郎って実は!!日本史偉人身長トップ10(体重はわかりません)

 

“成しとげたこと”とその”肝っ玉”

の大きさに関してはよく知られている大塩平八郎おおしおへいはちろうですが、

実はその身長

ビックリするくらいなんですね!(体重はわかりません。申しわけございません。)

今回は日本史偉人の中の

身長の高い人トップ10

と、もちろん低い人からもピックアップして紹介します。

 

日本史偉人身長トップ10

大塩平八郎像(菊池容斎作、大阪城天守閣蔵)
出典:Wikipedia

もちろん、昔になればなるほどその資料はあやしくなるものですし、

あくまでそのデータにある程度信用が置けて、気になる範囲から、集めました。

9位 大久保利通 武市半平太 183cm

大久保さん。

実は盟友の西郷どん(180cm)よりも背が高いです!

この両雄が並び立つと、見た目にもすごい迫力がありそうです。

武市半平太は尊王攘夷派の土佐勤皇党を率いたこちらも幕末の英傑。

それてしても幕末の維新志士たちには体格も立派な人が多いですね。

 

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大久保利通の年表を含む【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
関連記事 >>>> 「大久保利通とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】」

 

8位 長曾我部信親ちょうそかべのぶちか 184cm

戦国四国の覇者

長曾我部元親ちょうそかべもとちか長男です。

文武に秀で、性格も温和で、

元親、家臣、領民、みんなの“期待の星”だったようです。

しかし残念ながら、九州戸次川へつぎがわの戦いで若くしてあえなく戦死してしまい、

元親もこの突然の不幸にはかなり悲嘆にくれたようです。

7位 山岡鉄舟 187cm

幕末なら幕府方とて負けてはおりません。

こちらにはあの鉄太郎(鉄舟の通り名)がおります!

その剛直な人となりで激動の幕末・明治を生き抜いた偉傑

あの江戸無血開城の会談においては

西郷隆盛への使者として、新政府軍真っただ中を

鉄舟
朝敵徳川慶喜よしのぶ家来、山岡鉄太郎まかりとおる

と大音声で突っ切っていったようです。

こうして西郷との懇談にこぎつけるのですが。

はっきり言ってかっこよすぎると同時に、その身長で突っ切られると、確かにみんな……。

 

 

6位 藤堂高虎 190cm

7度主君を変えた戦国の苦労人

また、多くの築城を手掛けた名人としても知られております。

この高身長ですが、

亡くなった時はいくつかの指がなくなっていたり。

体中傷だらけだったり。

本当に身を張って頑張ったのですね。

彼の開いた伊勢津藩は見事明治をむかえましたよ。

4位 斎藤義龍 豊臣秀頼 197cm

義龍は美濃のマムシ斎藤道三実子

とも

前国主土岐氏の落胤らくいん(親に認知されない庶子、私生児のこと)ともいわれております。

豊臣秀頼の1611年二条城にて宿敵徳川家康との会見における

そのよく際立ったりりしいたたずまいとはどんなだったのでしょう。

秀頼のお母さん淀殿は実は身長が高く、

168cm

と伝えられております。

淀殿のお父さんは身長180cmほどとされる湖北の暁将ぎょうしょう“浅井長政”です。

3位 真柄直隆まがらなおたか 200cm~

姉川の戦いで散った越前朝倉方の猛将です。

黒鹿の馬にまたがり、

175cmという「太郎太刀」を振り回して戦ったといいます。

味方敗色濃厚となると、単騎で敵陣に突っ込み、

12段構え中8段まで突き破ったとか。

最後の言葉は

「わが首を御家のほまれにせよ」

2位 大塩平八郎 217cm

ついにやってまいりました!

しかも、この人は肝っ玉も尋常ではございませんから、

彼にせまられた奉行所方も表向きはともかく、内心は……。

1位 生月鯨太左衛門いくつきげいたざえもん 227cm

江戸時代の伝説的力士

もはや曙さん(204cm)や、今の逸ノ城関(197cm)をもはるかに、じゃないですか……。

この人は相撲において土俵上の対戦はほとんどなく(生涯戦績3勝2敗115休)、

おもに土俵入りだけを行っていたようです。

今も東京江東区の富岡八幡宮にその手形足形があるようですよ!!

 

山椒(さんしょう)は小つぶでピリリと辛い!

偉人にはまた身長の低い人もたくさんいます。

たとえば、室町中期に「万人恐怖」といわれた足利6代将軍義教を暗殺、

いわゆる”嘉吉の乱”を引き起こした

赤松満佑みつすけ

は身長120cmほどだったといわれております。

並外れて豪胆、荒い気性。

いまや下剋上のフロンティアともいわれております(いいのか、悪いのか……)。

長らく千々に割れる日本を統一した豊臣秀吉も身長は低かったとよく言われます。

信憑性はあまりなさそうですが、127cmだったという説すらあります。

武田四名臣の一人山県昌景やまがたまさかげは130~140cmほど。

ただ、敵味方に圧倒的な存在感で恐れられておりました。

中国三国志魏の曹操といい、

肝が座っていたり、知恵が回ったり、コンプレックスをばねにしたりした人は後を絶ちません。

 

きょうのまとめ

あの人ってそんなに大きかったんだ。

あの人は意外にそうでもなかったんだ。

というのは歴史を見ると結構あります。

① 戦国の猛将真柄直隆の身長は200cm超!

② 大塩平八郎は217cm!!

③ 江戸時代の伝説的力士生月鯨太左衛門は227cm!!!

ほかにも
伊達政宗
上杉謙信
……。

 
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