大塩平八郎の乱|江戸時代太平二百年を揺るが因縁の場所。その原因とは?

 

200年以上戦らしい戦なく移ろっていった

天下泰平の江戸時代

しかし、そこに降ってわいたように起こった兵乱。

人はそれを首謀者の名を取り、

大塩平八郎の乱

といいます。

起こったのは天領(幕府直轄地)第二の都市大坂。

そもそも江戸時代とは豊臣方であったこの都市を囲い込み、倒すことに始まりました。

やがて天領として接収され、戦災から復興し、町人文化の花ともいえる

元禄の中心地となりました。

暗に江戸時代を象徴するようなこの都市で起こったその複雑にからみ合ういろんな原因

そして、その行き着く果てとは一体どんなものだったのでしょうか。

 

天保の大飢饉

この乱の背景として絶対に外してはならないのが

1833~37年にかけて全国規模で起こった

天保の大飢饉です。

洪水や冷害による大凶作。

この間全国で125万人もの人口が減っております。

江戸の救済小屋で救済された人は70万人。

あの『天下の台所』大坂ですら毎日150~200人の餓死者が出たといわれます。

各地に百姓一揆・打ちこわしがたくさん起こっておりました。

 

当時の世相

そして、忘れてはならないのが当時の世相です。

大御所時代

といわれ、将軍徳川家斉指導のもと、商業に重きを置き、あけっぴろげな財政。

化政文化の花が咲きましたが、

一方で、

お金が第一

的な考えが広まり、ワイロなどの汚職が後を絶ちませんでした。

 

当時の大坂

次に大坂という場所です。

ここは天領第二の都市ですから、幕府から上役がどんどん出向してきます。

出世の足がかりみたいなものですね。

だから当然、ここの重役に就任する人たちには”お上(幕府)”のご意向を気にかける人も多くいます。

この時大坂東町奉行に就任していたのが、

跡部良弼あとべよしすけという人です。

この人は当時、幕閣として重きをなしていた

水野忠邦

実の弟です。

この跡部という人は飢饉のため大坂にすでに不足していた米を江戸に回そうとします。

なぜでしょう。

そういうことです。

一方、本来大坂を大きく支えるはずの多くの商人たちは飢饉に乗じてすでにたくさんの米を買い占めに走っております。

なぜか。

こうして市場の米を減らし、無理に値をつり上げて、なんとかと、すがる人々に売りつけるのです。

 

異を唱える者あり

これに異を唱えた人がいます。

大塩平八郎です。

この人は大坂町奉行の元与力よりき(中級役人)。

幕府の蔵米を民に与える、

商人たちの買い占めをやめさせる、

などと意見しますが、

跡部はことごとく無視しました。

それどころか、こんなことがありました。

大塩は門人たちと語らい、

自分たちの禄米を担保にして窮民らにほどこすお金を貸してほしい

と、ある豪商に申し出るのですが、跡部はそれを握りつぶさせます。

また、こんな施策を行います。

人々がことこまって京都に米を買いに出ようとします。

しかし、五斗一升10リットル足らず)よりの米を買おうものなら

「ご法度」

として容赦なくしょっ引いてしまいました。

なぜでしょう。

おかげで京の都は餓死者であふれました。

 

大塩平八郎の人となり

まず、大塩の人となりを振り返っておきましょう。

大塩は自分に対しても他人に対してもストイックそのものの人です。

くわしくはほかに書く記事に委ねますが、

過去には大坂奉行所という、いわば内輪の大疑獄を摘発してしまいました。

こんな時代に、清廉潔白

かなりの堅物でしたが、

庶民からも一目置かれるほどでした。

実際、大飢饉による大坂の困窮に対して大塩は自分の家にあった貴重な書物5万冊を全部売り払い、

今の価値1億3千万円ものお金を人々の救済に回します。

……。

大塩は跡部などとは違い、

大坂たたき上げのノンキャリア組(下級役人出身で出世が難しい)です。

もうその通る意見に限界を感じておりました。

 

きょうのまとめ

この時の世の腐敗ぶりには目にあまるものがあります。

大塩は当時の老中らをも巻き込んだ金権不正をも摘発しようとこころみます。

そして、江戸へのこの建議書が途中、飛脚により金銭欲しさに勝手に中身をあらためられ、

「なにもない」

と見るやその辺にうっちゃられる始末(この建議書は今から30年ほど前に見つかり、脚光を浴びます)。

なぜ、大坂の人たちが

「どれだけ懸賞金をかけられても大塩を差し出したくない」

となったのか。

全国のお百姓や学者らが命までかけて彼をまつり上げようとしたのか。

政治や経済は何のためにあるのか。

そして、このかけちがいはいったいどのようにおこったのか。

大坂はこれよりちょうど三十年後、”江戸幕府終焉の地”となります。

① 大塩平八郎の乱の重要な時代背景として天保の大飢饉

② 大塩平八郎の乱の重要な時代背景として大御所時代の乱脈的な政治

③ 大塩平八郎の乱の首謀者大塩平八郎は剛直で清廉潔白。それでいてどうにも世を変えられぬ身分の壁に限界を感じていた

いかがだったでしょう。

大塩の乱のくわしい中身などはまた追って紹介してまいります。

「救民」

 
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