新幹線やお米の名前の由来にもなっている小野小町。
日本人なら「ご存じ」の小野小町ですが、実は彼女の生涯は謎だらけだったのです。
小野小町とは一体どんな人物だったのか、わかる範囲で彼女の生涯について簡単に紹介していきます。
(かなり苦しいということが伝わると思います……。)
タップでお好きな項目へ:目次
小野小町はどんな人?
- 出身地:不明
- 生年月日:不明
- 死亡年月日:不明
- 「六歌仙」「三十六歌仙」にも選ばれた平安時代前期の女流歌人。とにかく謎だらけの人物。
小野小町 年表
西暦(年齢)
833~850年(?歳)宮仕えしていたものと推測
謎の歌人・小野小町の生涯とは
上の年表を見ていただくとわかる通り、小野小町の生涯は謎に包まれています。
小野氏出身だったということ以外、生誕地や生年月日などもわかりません。
彼女の父親も、小野篁や出羽郡司・小野良真などという説があり、はっきりしていないのです。
さらには、本名すらわかっていません。
宮中に仕える女房だったと伝わる小野小町は、宮中の局町に住んでいたため「小町」と呼ばれたともいわれています。
彼女のものとされる和歌は、『古今和歌集』や『後撰和歌集』などに収められています。
遺された作品からは、小野小町が中国文学にも詳しい教養のある女性だったことが推測できます。
とにかくミステリアスな小町は、絶世の美女だったことでも有名です。
そのためか多くの伝説が残り、構成には歌舞伎や浄瑠璃などの題材にもなりました。
その一方、小野小町の晩年は不遇だったとも伝わりますが、これも確かではありません。
小野小町にまつわるエピソードや伝説
本当に何もわからないんですよ……小野小町。
なんだか、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
本名は小野吉子?
先ほど、小野小町の本名はわかっていないと書きました。
ですが小野吉子という人物が、小町だったのではないかという説もあります。
小野吉子は仁明天皇の更衣(更衣とは位の低い夫人のこと)だったと伝わる女性。
だからこそ小町は、どんな男性にアプローチされてもなびかなかったともいわれているのです。
とはいえ、これは推測の域を出ません。
また吉子の妹が、小野小町だったとする説もありますよ。
落ちぶれた伝説が日本各地に
宮仕えをしていたという小野小町ですが、晩年をどこで過ごしたのかもわかっていません。
というより、乞食となり流浪したという小町の終焉の地、と伝わる場所が日本の各地に残っているのです。
例えば、こんな話があります。
するとその髑髏は、「秋風の 吹き散るごとに (あなめあなめ)(※)」と上の句だけを詠みました。
※ああ、目が痛いという意味。
そのどくろはその地で没した小野小町のものだと知った業平は、
「小野とは言はじ 薄生ひけり」と下の句を詠んて小町を弔った。
ですがなぜ、小野小町は不遇の晩年を送ったことになっているのでしょう。
もしかしたら、美人に対する嫉妬なのかも……なんて考えたりするのも楽しいですね。
きょうのまとめ
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
小野小町とは?
① とにかく謎が多い女性である
② 小野氏出身で、宮仕えしたいたことは確からしい
③ 本名は小野吉子だった、もしくはその妹だったかもしれない
④ なぜか全国各地に、落ちぶれた小町伝説が数多く残っている
こちらのサイトでは他にも、平安時代の歌人にまつわる記事をわかりやすく書いています。
より理解を深めたい方は、ぜひ読んでみてくださいね。
関連記事 >>>> 「小野小町の代表作・百人一首に収められた和歌の意味は?」
その他の人物はこちら
平安時代に活躍した歴史上の人物
関連記事 >>>> 「【平安時代】に活躍したその他の歴史上の人物はこちらをどうぞ。」
時代別 歴史上の人物
関連記事 >>>> 「【時代別】歴史上の人物はこちらをどうぞ。」
すごくわかりやすく書いていて、参考になりました。
コメントありがとうございます!
励みになります。