最近は映画の題材にもなり、注目されている百人一首。
とはいえ、百人一首すべてを今から学ぶもの辛いものがあります。
ですが、有名な歌の意味くらいは知っておきませんか?
そこで今回は百人一首に収められた、小野小町の代表作「花の色は…」の意味などについて紹介します。
タップでお好きな項目へ:目次
百人一首に出てくる小野小町の歌について
百人一首とは有名な歌人100人の歌から、1首ずつ選んだものです。
一番有名なのはカルタ遊びでもお馴染みの、小倉百人一首。
これは藤原定家(ていか)が京都の小倉山荘で選んだことが、その名の由来となっています。
意味(現代語訳)
花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに
(引用:京都せんべいおかき専門店 長岡京小倉山荘「ちょっと差がつく百人一首講座」【2002年3月20日配信】[No.055]
https://www.ogurasansou.co.jp/site/hyakunin/009.html)
【現代語訳】桜の花の色は色あせてしまったことよ 長雨が降り続く間に 私の容姿も衰えてしまった 物思いにふけっているうちに
【上の句】花は桜! 梅から変わった理由
ちなみにこの歌は百人一首だけでなく、『古今和歌集』にも収められています。
『古今和歌集』は『古今集』と、略して呼ばれることもあります。
この和歌集は平安時代前期に醍醐天皇の命によって、
- 紀友則
- 紀貫之
- 凡河内躬恒
- 壬生忠岑
たちが選んで作ったものです。
さて、ここがポイントです。
上の句に出てくる「花」は桜と理解するのが一般的です。
なぜなら『古今和歌集』の頃から、花=桜という認識に変わっていったからです。
それ以前は、花といえば梅でした。
「お花見しよう」と誰かに誘われたら、かつては梅を見に行くということだったのですね。
ですが次第に、日本人に人気の花は梅から桜へと変わっていったのです。
その背景には、遣唐使の存在があるといわれています。
梅は遣唐使が伝えたものであり、それを見ることが当時の貴族たちの間で流行しました。
ですが平安時代になると遣唐使が廃止され、国風文化という日本独特の文化へと変わっていきます。
そこで中国から来た「梅」よりも、以前から日本に存在していた「桜」の人気が高まったということです。
【下の句】掛詞を多用している
さて、小野小町の和歌に戻りましょう。
この歌の中には、複数の掛詞が登場しています。
色々かかっている、ということですね。
「ふる」という音には「降る」「経る(※1)」という二つの意味があります。
さらに「ながめ」という音には、「長雨」「眺め(※2)」という意味があります。
※1 世に経るとは、年月を経るという意味になります。
※2 眺めとは、ぼんやりと物思いにふけるという意味です。
というわけでこの歌の下の句には、「長雨が降る」と「物思いにふけっている間に年をとった私」という、二重の意味があるんですね。
文学的教養がない筆者ですが、うまい! と思わず言ってしまう歌でした。
きょうのまとめ
今回は、百人一首に収められた小野小町の歌について、簡単に紹介しました。
② 花といえば梅から桜に変わった背景には、遣唐使の廃止が挙げられる
③ 掛詞が使われていて、二重の意味を持った歌である
こちらのサイトでは他にも、小野小町にまつわる記事をわかりやすく書いています。
より理解を深めたい方は、ぜひ読んでみてくださいね。
その他の人物はこちら
平安時代に活躍した歴史上の人物
関連記事 >>>> 「【平安時代】に活躍したその他の歴史上の人物はこちらをどうぞ。」
時代別 歴史上の人物
関連記事 >>>> 「【時代別】歴史上の人物はこちらをどうぞ。」
コメントを残す