新田義貞の子孫は現在もいる?徳川家康も自称したはっきりしない血筋

 

新田義貞といえば鎌倉幕府を滅亡させた人物。

その後の建武の新政では、京都の警備を司る武者所頭人を務めました。

さて、そんな新田義貞の子孫は現在も存在しているのでしょうか。

 

直系は断絶している

まず新田義貞の直系は、ひ孫の代で断絶しています。

1392年に南北朝は統一されたものの、その後も南朝側の遺臣たちによる抵抗が続きました。

その中で、南朝側であった新田貞方(義貞の孫)と嫡男の貞邦は、鎌倉で捕らえられて殺されます。

この時点で、新田義貞の直系の子孫は存在しないということになります。

 

明治維新後に爵位をもらった子孫がいた

しかし義貞の子・義宗には貞方だけでなく、他にも男児がいました。

そして貞方にも庶子がいたとされ、新田義貞の血は完全に途絶えたわけではなさそうです。

 

なぜなら時は下って明治維新後、新田義貞の子孫という人物が明治政府から爵位を与えられていたのです。

その人物は新田俊純氏です。

もとは岩松(※)という姓だったのですが、明治維新後に新田姓に戻したということです。

※義貞の子・義宗の次男が岩松家の養子に入ったとされています。

 

さらに岩松家は戦国時代、重臣の横瀬氏の下剋上に遭っています。

すると今度はその横瀬氏も新田義貞の子孫を名乗り、よくわからない状態になりました。

そして両家はどちらが嫡流であるか、争ったこともあったようです。

 

ということで、現在も新田義貞の子孫はいるのかというと、いるかもしれません。

おそらくいると思いますが、誰が本物かはわかりません。笑

 

徳川家康は新田義貞の子孫だった?

このようにはっきりしない新田義貞の血筋。

そのため、自称する人も多いであろうことは想像できます。

が、なんとあの徳川家康も新田義貞の子孫であると主張していました。

義貞の息子・義宗の庶子とされる得川親季(とくがわ・ちかすえ)の流れであると称したそうです。

 

少なくとも祖父の代から新田の子孫を名乗っており、家康も松平から徳川に改姓する際、そのように朝廷に申請しました。

ですが明確な証拠は出てこなかったそうで、現在でも家康の新田義貞子孫説は怪しまれています。

 

きょうのまとめ

今回は新田義貞の子孫について、簡単にご紹介しました。

① 新田義貞の直系はひ孫・貞邦で断絶している。

② 新田義貞の子孫とされる人物が、明治維新後に爵位をもらっていた。

③ 徳川家康も新田義貞の子孫と称していたが、怪しまれている。

こちらのサイトでは他にも、新田義貞にまつわる記事をわかりやすく書いています。

より理解を深めたい方は、ぜひお読みになってくださいね。

 

新田義貞の【完全版まとめ】記事についてはこちらをどうぞ。
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