新田義貞のお墓はどこにある?実はあっけない最期だった

 

最近は「墓マイラー」なんて言葉もあるほど、

歴史上の人物のお墓を訪れる人が多いようです。

そこで今回は、悲劇のヒーロー

新田義貞の最期とお墓の場所についてご紹介していきます。

 

新田義貞の最期

そもそも新田義貞は、どうして亡くなったのかご存知でしょうか。

鎌倉幕府を滅亡させたり、建武の新政を支えたりしたことは有名ですが、それ以降の彼をご存じない方も多いはず。

それでは、新田義貞の最期はどのようなものだったのでしょう。

南北朝の動乱

鎌倉幕府の滅亡後、後醍醐天皇は建武の新政を始めます。

ですが人事面では公家が優遇され、さらに武家社会の慣習を無視した政治が行われました。

その結果、武士たちは次第に不満を募らせていきます。

 

そして、足利尊氏が中先代の乱(※)をきっかけに建武政権を離反。

※北条時行(北条家最後の得宗・北条高時の子)が幕府再興のために鎌倉で起こした乱のこと

その後、尊氏は全国各地で新政府側の新田義貞や楠木正成らと戦いを繰り広げました。

越前国藤島で討死

戦いの末、足利尊氏は一時、九州まで押し込まれます。

ですが再起を図って京都を占領。

 

一方新田義貞はというと、越前国金ケ崎(かねがさき)城に入りました。

しかし金ケ崎城は陥落するも脱出し、斯波高経(しば・たかつね)との藤島の戦いに臨みます。

 

斯波側の城・藤島城を包囲している味方の士気を上げようと、わずかな手勢で城へ向かった義貞。

その途中、運悪く敵と遭遇し、眉間に矢が当たって自害しました。

意外にも、あっけない死だったようです。

うーん、あまり知りたくなかったような……。笑

 

お墓は福井県にある

さて、新田義貞のお墓は福井県坂井市の称念寺(しょうねんじ)にあります。

藤島の戦いで討死した後、僧8名によって新田義貞の亡骸が葬られたということです。

こちらのお寺では、新田義貞の法要が毎年(大法要は10年ごと)営まれています。

また称念寺は明智光秀のゆかりの地でもあります。

福井に行く予定のある方は、訪れてみてはいかがでしょうか。

称念寺

【住所】福井県坂井市丸岡町長崎19-17

【電話番号】0776-66-3675

【アクセス】JR丸岡駅よりバス「舟寄」下車→徒歩10分

 

きょうのまとめ

今回は新田義貞の死とお墓について、簡単にご紹介しました。

① 新田義貞は南北朝の動乱の最中、越前国藤島で討死した

② お墓は福井県坂井市の称念寺にある

③ 称念寺は明智光秀ゆかりの寺でもある

こちらのサイトでは他にも、新田義貞にまつわる記事をわかりやすく書いています。

より理解を深めたい方は、ぜひお読みになってくださいね。

 

新田義貞の【完全版まとめ】記事についてはこちらをどうぞ。
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