天保の改革でおなじみの水野忠邦。
ただ、この男を見ていると人間というものの悲哀がものすごく秘められております。
さあ、われらが「失政大魔王」様。
最後の出動です。
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水野忠邦ってどんな人?
- 出身地:おそらく江戸(現在の東京都)
- 生年月日:1794年7月19日
- 死亡年月日:1851年3月12日(享年56才)
- 江戸時代後期の政治家。江戸三大改革最後の一つ”天保の改革”を主導。
水野忠邦の年表
1794年(0才)水野忠邦生まれる。
1817年(23才)水野忠邦、肥前唐津藩(今の佐賀県唐津市あたり)から遠江浜松藩(今の静岡県浜松市あたり)へ転封。
1839年(45才)水野忠邦、老中首座に就任する。
1841年(46才)江戸幕府第11代将軍徳川家斉死去する。天保の改革が事実上開始される。
1843年(48才)水野忠邦、失脚し、天保の改革終わる。
1851年(56才)水野忠邦、死去する。
水野忠邦の青雲の志
肥前唐津藩主の次男。
ですが、お兄さんが早死にしたため、早くから事実上の嫡男として育った水野忠邦。
彼はいつの日かある”青雲の志”をいだきます。
世は長らく”大御所時代”の真只中。
将軍徳川家斉が主導し、ぜいたくのなすがまま。
わいろがそこら中にはびこり、
人々は、
「カネさえ持ってりゃ」
「こんな世の中を何とかしなくてはならない」
忠邦のそうした強い思いはやがて、
「なら、幕府の中心にいなくては」
そして、
「出世しなくては」
につながります。
すべては「世を変えるため」
忠邦の唐津藩は実質25万石の巨大な藩ですが、長崎警備の役割があるため、
幕府の中心では出世しづらい伝統がありました。
そこで忠邦は幕府に遠江浜松藩への転封を願い出ます。
浜松藩は実質15万石。
もちろん、その分家臣もその家族も領民も割を食うことになります。
しかし、背に腹は代えられず。
“わいろ”に訴えます。
家老の二本松義廉が
「こんな無茶なことはない」
とばかりに自分の腹を斬っていさめますが、聞き届けられることはありませんでした。
そして、彼は突き進んでゆきます。
修羅の道を。
水野忠邦、修羅道をゆく
出世へのわいろ資金のため
自分がわいろをもらったり、借金踏み倒しや、違法行為など、この人には黒い話がつきません。
ただ、一応言っておきます。
こんなことは当時の幕閣や大名の間ではありふれたことでした。
忠邦だけが特別ではないのです。
そして、あえて突き進み、
トントン拍子に出世し、
老中首座へ。
あの徳川家斉も亡くなります。
ついに彼の時代がやってきました。
天保の改革です。
水野忠邦、「天保の改革」に燃え盛る
彼の着手した改革。
それは。
様々なぜいたく禁止。
綱紀粛正。
人返し令(都市に出ている農民を無理やり農地へと追い返す法令)。
さらには株仲間の解散。
などの復古主義。
つい先日までの自分のありさまとはまるで逆を向いたことです。
そして、
やることなすことことごとく裏目に出、
上知令(大名・旗本の江戸・大坂の領地を取り上げ、かわりに彼らの本領に近い領土を与える法令)にいたっては
大名にも、旗本にも、商人にも、農民にも嫌われ、
ついに自分にかわってその手を直に汚してきたあの鳥居耀蔵などにまで寝返られます。
思えば、ここにいたる数十年いかに泥にまみれてきたことか。
もういくらあの日の青雲の志を世に問うても、自分の身の泥をぬぐうことはできない。
改革の名のもとにその汚れた手をくだし、気付いてみると。
水野忠邦、失脚し、燃えつきる
あえなく失脚した忠邦は後に異国との問題が持ち上がり、老中に再任されます。
ただ、かつての覇気には到底及ばず、
日々ぼんやり、「木偶人形」のように、
やがて欠勤が多くなり、ついには罷免されてしまいます。
あれほどシャカリキだった男に何が起こったのでしょうか。
思えばあまりに多くのものを失いました。
理想とははるかに遠く、いったい自分は何のためにあれほど邁進してきたのか。
満56才で死去。
きょうのまとめ
蛮社の獄(著名な蘭学者などを逮捕した事件)で海外に通じた人材を自ら失い、
貨幣改悪で江戸庶民の生活をずたずたにし、
品のないおとり捜査までして手当たり次第に摘発。
ついには出羽山形藩に懲罰転封され、その国移りの時には元領民への借金を踏み倒そうとしたため、一揆にまで発展したと伝えられます。
彼はある意味どこまでも時代に従順であり、どこまでも反抗的でした。
① 水野忠邦は世を正したくて、出世を志したが、時代のせいもあり、そのやり方がものすごく汚かった
② 水野忠邦は天保の改革に当たって急に人が変わったように悲願の復古主義を周囲に押し付けるようになったが、やはりやり方に汚さが残り、またそのほぼすべてが裏目に出た
③ 水野忠邦は失脚して急に燃え尽きたようになってしまった
「大魔王様」とのお別れ、名残惜しいです。
この人には歴史のいろんな要素がふんだんに盛り込まれていたという印象です。
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