本当は新宿だった!?松平容保の墓は会津に改葬されていた

 

幕末、京都守護職として徳川家に忠義を尽した

松平容保(まつだいら・かたもり)。

晩年は、徳川家康らをおまつりしている日光東照宮の宮司も務めました。

朝敵となってしまった悲劇の人物としても知られる容保ですが、
彼は一体どこに葬られたのでしょうか。

そこで今回は、松平容保のお墓に関する情報をご紹介していきます。

 

会津歴代藩主のお墓はココにある

松平容保は現在、福島県内にある松平家墓所という場所で眠っています。

松平家墓所とは、会津若松市の院内山(いんないさん)と

猪苗代(いなわしろ)町の土津(はにつ)神社の2カ所を併せた言い方です。

院内御廟に眠る松平容保ら

容保のお墓は院内山の方にあり、墓所の通称を院内御廟(ごびょう)といいます。

15万平方メートルという広大な敷地面積を誇り、国の史跡にも指定されています。

こちらには、第2代藩主・保科正経(ほしな・まさつね)から第9代藩主の容保までのお墓があります。

そして容保のお墓のすぐ隣には、容保の家族が眠るお墓もありますよ。

とても自然が豊かな場所にあるので、新緑の時期や紅葉の時期になると、散策を兼ねてお参りに来る人も多いといいます。

【院内御廟】

住所:福島県会津若松市東山町大字石山字院内
電話番号:0242-39-1305(会津市役所文化課)
アクセス:会津若松駅からバスで15分
拝観自由

土津神社には藩祖・保科正之

一方、土津神社には、会津藩主の祖・保科正之(まさゆき)のお墓があります。

保科正之は第3代将軍・家光の義理の弟で、4代目の将軍・家綱の幕政を助けたことで有名な人物です。

保科正之本人が没後はこちらに祀るように言い残したため、他の藩主とは違う場所に墓地があるようです。

土津神社は一度、戊辰戦争の際に焼けてしまったそうですが、創建された当初は日光東照宮と並び称されるほど豪華だったようですよ。

【土津神社へのアクセス】

住所:福島県耶麻郡猪苗代町見祢山1
電話番号:0242-62-2160
アクセス:猪苗代駅からバスで15分

歴代藩主に祈りを捧げるお花まつり

さて、歴代の会津藩主を輩出した会津松平家は、現在も続いています。

現在の当主は14代目の松平保久(もりひさ)さんという方です。

そこで松平家の現当主が祭主となり、毎年5月4日には歴代藩主を弔(とむら)うお花まつりが開催されています。

場所は先ほどご紹介した、歴代の会津藩主が眠る院内御廟の拝殿です。

祈りが捧げられ、さらに地元の高校生たちによって白虎隊剣舞も行われるそうですよ。

ちょうどその頃は会津で八重桜が咲く季節、素敵なお花まつりなんだろうな、と参加したことのない私は思ったりしています。

 

松平容保のお墓はもともと新宿にあった!?

実は松平容保のお墓は、もともと新宿二丁目にある正受院というお寺にありました。

正受院は幕末までは、松平家の菩提寺(ぼだいじ)だったそうです。

ですので明治26年(1893年)に東京の小石川(現在の文京区)でその生涯を終えた松平容保の亡骸(なきがら)が、

菩提寺である正受院に埋葬されたことに、なんら違和感はありませんよね。

ですが大正6年(1917年)、戊辰五十周年ということで会津に改葬されたといいます。

一方、現在の正受院には、かつて容保のお墓があったという墓碑や案内板も残されていないようです。

なんだか、もったいない気もしますね。

 

きょうのまとめ

今回は、松平容保や歴代会津藩主のお墓についてご紹介しましたが、いかがだったでしょうか。

① 松平容保と家族のお墓は、会津の院内御廟にある

② 毎年5月4日には歴代会津藩主を弔うお花まつりが行われて行われている

③ 松平容保のお墓は、もとは新宿・正受院にあったが改葬された

といえます。

こちらのサイトでは他にも、松平容保や幕末に関する記事をわかりやすく書いています。

ご興味をお持ちの方は、是非ご覧になってくださいね!

 

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