楠木正成を神と祀る神社と偲ぶ場所

 

軍事的な才能と、決して後醍醐天皇を裏切らなかったその忠誠心を

後世多くの人に語り継がれた武将・楠木正成くすのきまさしげ

実は神さまとなって神社に祀られ、今でも多くの人に慕われています。

 

楠木正成を祭神として祀る神社

楠木正成

楠木正成
出典:Wikipedia

代表的な神社を2社ご紹介しましょう。

湊川神社

1872年(明治5年)に創建された、神戸市の湊川神社は比較的新しい神社です。

ここには、

・主祭神の楠木正成

・息子の楠木正行まさつら

・湊川の戦いに斃れた一族十六柱

・正成・正行と共に自害した武将・菊池武吉きくちたけよし

・正成の妻・久子(のちに合祀された)

らが本殿に祀られています。

戦災によって焼失したため、現在の社殿は昭和27年に復興新築されたものです。

境内には神社創建以前から存在した正成以下一族・関係者の墓所「御墓所」が東南隅にあります。

ここには徳川光圀自ら文字を書いた墓碑があり、国指定文化財史蹟となっています。

また、湊川の戦いで敗れた正成が弟の正季と共に自害した「殉節地(戦没地)」(異説あり)も境内の西北隅に位置し、同じく国指定文化財史蹟です。

宝物殿には、楠木正成使用の鎧、直筆の写経、佩刀はいとうなど貴重な史料が展示されています。

正成について興味を持つ人は、一度は訪れたい場所です。

<湊川神社:兵庫県神戸市中央区多聞通3-1-1>

南木神社

大阪府南河内郡千早赤阪村にある建水分神社たけみくまりじんじゃの敷地内にある摂社が、南木なぎ神社です。

ここは、楠木正成を祭神として祀る最古の神社。

本社の建水分神社は楠木家の氏神です。

1337年に後醍醐天皇が忠臣・正成を偲んで彫刻した像が祀られたのを起源とし、後に後村上天皇より「南木明神」の神号を受けました。

戦前教育において、正成公は日本史上随一の忠臣、日本国民の模範とされたこともあり、彼を敬愛する多くの人々が参詣しています。

本社である建水分神社の紋は、楠氏の家紋と同じ上半分が菊、下半分が水の流れを表す菊水紋

紋の由来については諸説あるようです。

その一つとして、菊水の上半分の菊は後醍醐天皇により正成の忠誠に対して下賜された菊の紋で、下の水流部分は楠木氏が氏神としていた建水分神社が水の分配を司る水神だったことによるとも言われます。

菊水紋は、瓦や社殿の装飾などに見ることができます。

<南木神社:大阪府南河内郡千早赤阪村大字水分357>

 

正成を偲ぶ

神社以外にも、楠木正成にゆかりのある場所は各地にありますが、そのうちのいくつかをご紹介いたしましょう。

父子決別の桜井駅跡

ここは、1336年に楠木正成が最後の合戦・足利尊氏との湊川の戦い前に嫡男・正行との決別を行った場所です。

桜井駅、もしくは桜井の駅というのは電車の駅のことではありません。

古代律令制度において整備されていた駅家の跡です。

ここでの父子の今生の別れが『太平記』の「正成兵庫に下向の事」に描かれた名場面「桜井の別れ」です。

戦前教育では国語・修身・国史の教科書に必ず載っていたという大変有名な逸話でもあります。

1336年6月、自軍が圧倒的に不利なことを承知していながら、湊川で足利尊氏の大軍に立ち向かう覚悟をした楠木正成。

彼はこの桜井の駅で、最後まで正成と一緒に戦いたいと懇願する数え11歳(実際は20歳前後だったという説もある)の嫡子・正行を諭し、別れを告げたのです。

その時に正成は、自分の形見としてかつて帝より下賜された菊水の紋が入った短刀を正行に授けたということです。

<史跡桜井駅:大阪府三島郡島本町桜井1丁目3>

皇居外苑にある楠木正成の銅像

1891年、住友家がその基礎を作った別子銅山の開坑200年記念事業として宮内省(現宮内庁)に献納した楠木正成の銅像があります。

それが、皇居外苑の二重橋を正面に見据えるように建てられた雄壮な楠木正成の騎馬像です。

東京美術学校(現在の東京芸術大学)の高村光雲たかむらこううん山田鬼斎やまだきさい岡崎雪聲おかざきせっせいらが別子鉱山の銅を使用して製作にあたり、10年後の1900年7月に献納されました。

像は、隠岐から還幸した後醍醐天皇を兵庫の道筋で迎える正成を表わしているそうです。

敬礼する馬上の正成には重厚さがあり、力をたぎらせて躍り上がる馬は躍動感にあふれています。

どのアングルからみても美しいこの騎馬像は、上野の西郷隆盛像、靖国神社の大村益次郎おおむらますじろう像と共に東京三大銅像の一つとなっています。

<楠木正成像 皇居外苑:皇居外苑1-1>

正成奉納・国宝の鎧がある春日大社

奈良にある春日大社の国宝殿には、楠木正成が奉納したと伝わる甲冑があります。

それが、「国宝・黒韋威矢筈札胴丸くろかわおどしやはずざねどうまる」です。

正成にゆかりのある甲冑というのは、各地に多くありますが、これは南北朝時代の製作だと考えられ、彼が生きた時代と時期が一致する唯一のものだと言われています。

また、この鎧には最初から一具として兜と大袖も揃っており、3点が見事に揃ったことは、歴史研究においても非常に価値の高いものなのです。

楠木正成は、まさにこのような甲冑を身に付けて戦に臨んでいたのにちがいありません。

<国宝・黒韋威矢筈札胴丸 春日大社国宝殿:奈良県奈良市春日野町160>

 

きょうのまとめ

今回は楠木正成を祭神とする2つの神社と正成をしのぶゆかりの地をご紹介しました。

いずれの場所も正成がいかに長く日本人に慕われてきたを証明していますね。

簡単なまとめ

① 神戸の湊川神社、大阪南河内の南木神社は楠木正成を神として祀る神社である

② 神社以外にも桜井駅史蹟・皇居外苑の銅像・春日神社の宝物である甲冑など正成を偲ぶ貴重な史蹟・史料が現存している

③ 多くの施設や史蹟・史料を通して正成は現在も多くの人々に慕われている武将である

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楠木正成の年表を含む【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
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歴史ライター、商業コピーライター 愛媛生まれ大阪育ち。バンコク、ロンドンを経て現在マドリッド在住。日本史オタク。趣味は、日本史の中でまだよく知られていない素敵な人物を発掘すること。路上生活者や移民の観察、空想。よっぱらい師匠の言葉「漫画は文化」を深く信じている。 明石 白(@akashihaku)Twitter https://twitter.com/akashihaku