後醍醐天皇は和歌と『源氏物語』が好きだった?楽器や歌も得意

後醍醐天皇

 

鎌倉幕府を倒し、自ら政治を行った後醍醐天皇

そのバイタリティーの強さから、どうしても政治的側面を注目しがちです。

しかし後醍醐天皇は、天皇ですよ?

当然、文化人としての側面もあったわけです。

そこで今回は、後醍醐天皇の文化的な活動について簡単に紹介していきます。

 

和歌が大好きだった

後醍醐天皇は、和歌に造詣(ぞうけい)の深い人物だったことで知られています。

天皇の詠んだ和歌は『新後撰和歌集』『新後拾遺和歌集』といった勅撰和歌集に83首

准勅撰の『新葉和歌集』には46首が収められています。

例えば、こんな歌を残しています。

花に寝てよしやよしのの吉水のまくらのもとに石はしる音

(引用:浄土宗如意輪寺「南北朝と吉野山」http://www.nyoirinji.com/nantyou_tounou_1.html)

こちらの歌の舞台は、南朝の皇居とされた吉野・吉水神社

今も残る玉座の下には、「瀬古川」が流れています。

後醍醐天皇は寝ているとき、そのせせらぎを聴いて、この歌を詠んだとされています。

京を追われた天皇の姿が目に浮かぶ、寂しい歌ですね。

 

『源氏物語』の講釈をした

さて、『源氏物語』研究に大きな影響を与えた河海抄かかいしょうという注釈書があります。

こちらは南北朝時代、四辻善成よつつじよしなりという人物によって書かれたものです。

この中で『源氏物語』は、醍醐・村上天皇の治世、

すなわち延喜・天暦の時代がモデルとなっているとする説(=延喜・天暦準拠説)が唱えられています。

この点については、後醍醐天皇の思想が四辻善成に影響を及ぼしているのでは? と考えられています。

 

実は後醍醐天皇は、『源氏物語』にも強い興味を持っていたのです。

なんと即位の際には、『源氏物語』の講釈を行ったのだとか。

というのも、後醍醐天皇は「延喜・天暦の治」(醍醐天皇と村上天皇の治世のこと。公家政治の黄金時代として、後世美化された呼び方です。)を自らの政治の理想としていました。

そういった意味で、後醍醐天皇には『源氏物語』が非常に魅力的に見えたのかもしれません。

 

音楽も得意

後醍醐天皇は楽器も得意でした。

琵琶しょう(雅楽で使われる管楽器。17本の管が環状に並んでいます。)の腕前は素晴らしかったと伝わっています。

そもそも「天皇」にとって音楽はただの娯楽ではなく、帝徳として身につけなくてはいけないもの。

そこで天皇たちは、熱心に楽器の練習に取り組みました。

ですが後醍醐天皇は楽器だけでなく、郢曲えいきょく)も得意だったと伝わっています。

 

きょうのまとめ

今回は後醍醐天皇の文化的活動について、簡単にご紹介しました。

後醍醐天皇は、

① 和歌が好きで、数多くの作品を残した

② 『源氏物語』にも興味を持っていた

③ 楽器や歌も得意だった

こちらのサイトでは他にも、後醍醐天皇にまつわる記事をわかりやすく書いています。

より理解を深めたい方は、ぜひお読みになってください。

 
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