サラディンとはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

サラディンは日本ではほとんど知られておりません。

しかし、アラブではイスラム教を開いたムハンマドに次ぐ歴史上の大英雄です。

そしてなんと、十字軍で敵対したはずのヨーロッパでも手堅い人気を守り続けております。

ではその人気とはいったいどこから来ているのでしょうか。

 

サラディンはどんな人

プロフィール

サラーフッディーンと考えられる肖像画
出典:Wikipedia

  • 出身地:今のイラクのティクリット
  • 生年月日:1137~1138年
  • 死亡年月日:1193年(56才ごろ)
  • アイユーブ朝最初の王。軍事・政治に優れただけでなく敵を許す広い心で有名。

 

サラディンの年表

年表

1137~38年(0才)サラディン生まれる

1152年(15才ごろ)ザンギー朝2代目ヌールッディーンに仕え始める

1169年(32才ごろ)アイユーブ朝を興す

1187年(50才ごろ)エルサレム解放

1188~1192年(50代前半)第3次十字軍との戦い

1193年(56才ごろ)サラディン亡くなる

 

サラディンの生い立ち

サラディンはティクリットの代官アイユーブの息子です。

クルド人という少数民族の出身

しかし、生まれて間もなく叔父(おじ)のシール・クーフが殺人事件を起こし、一族もろとも逃げ出さなくてはならなくなります。

そこで彼らに手を差しのべたのが、ザンギーという重要人物です。

ザンギーは当時動乱のアラブ世界でついには王朝を開くほどになった人です。

ザンギーは以前戦いに敗れた時に、敵に捕まりかけたことがありました。

しかし、そこで助けてくれたのがサラディンの父アイユーブです。

ザンギーはその時の恩返しに、アイユーブたちをかくまってあげました。

サラディンはやがてザンギーの後継ぎ息子、ヌールッディーンのもとに仕えることとなります。

 

エルサレム解放

サラディンはやがて、ヌールッディーンのもとで頭角を現し、とうとうエジプトの代表者のような存在にまでなります。

しかし、ヌールッディーンが病気で亡くなると、そのすきをねらってほかのある勢力が動き始めます。

エルサレム王国です。

エルサレム王国とは当時の100年ほど前からエルサレムのあたりにいたキリスト教勢力です。

エルサレム王国が攻めてくるので、ヌールッディーンの後継ぎはサラディンに援軍をお願いします。

すると、サラディンはこれに応じ、ついにはエルサレム王国をやっつけてなくしてしまいました。

そして、ここがサラディンのすごいところです。

サラディンはイスラム教徒にとってずっと宿敵だったエルサレム王国の人たちを解放

それどころか、エルサレム王国内で夫を亡くした奥さんやみなしごたちなど、「どうしよう」と苦しんでいる人たちにポケットマネーまで出してしまいます。

そうして、彼らがちゃんと解放されるように手助けしてあげるのです。

 

十字軍との戦いにおける許し

ところがこれでだまっていないのがヨーロッパのキリスト教勢力です。

十字軍の歴史上、最強オールスターと呼ばれるとんでもないタレント軍団で攻めてきます。

しかし、サラディンはたくみにアラブ世界をそれなりにまとめあげ、そして、死力をつくした攻防の末、とうとう彼らを追いはらうことに成功します。

この時また、サラディンが相手方に見せた条件がすごいです。

「エルサレムはうちが解放したけれど、キリスト教の聖地(キリストが処刑された場所など)をバカにするようなことはしないよ」

「ここはあなたがたキリスト教徒にとっても聖地だから、巡礼しに来る人はいるでしょう。でも、彼らにいらんことはしないよ」

と約束します。

もちろんこれで、十字軍などキリスト教勢力からの攻撃、あるいは、アラブ勢力どうしの戦いが終わったというわけではありません。

しかし、“許す”ことによって得られた十字軍との和平の約束が、後のアラブの大ピンチを救うことになります。

サラディンの死後、アラブはまたバラバラになります。

けれどもあの約束によって十字軍には攻められません。

そうしている間にアラブはまたまとまってゆきました。

もし、あの時結んだ和平の約束がなかったらアラブはどうなっていたでしょう。

 

 

きょうのまとめ

サラディンは自分に厳しく、みんなのために尽くそうとしました。

だから、生きていた時は王様なのにとても質素。

さらに亡くなった時、自分の財産はほとんどありませんでした。

① サラディンは恩人ザンギー一族のもとでだんだんと頭角をあらわした

② サラディンは100100年ぶりにエルサレムを解放しただけでなく、そこに住んでいたキリスト教徒にも優しい姿勢を示した

③ サラディンは強力な十字軍を追い返しただけでなく、キリスト教徒たちの信仰心にも敬意をはらった

「平和」「共存」は私たち人間にとっての大きなテーマです。

のちのち、私たちがどうなるか、どうすべきかを探るために私たち自身のビッグデータ「歴史」は研究不可欠です。

かつてドイツのある知者はこう語りました。

「知者は歴史に学ぶ」

 
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