福沢諭吉の名言「天は人の上に人を造らず」に隠されたエピソードを紹介

 

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」

日本人ならば、一度は聞いたことのある福沢諭吉ふくざわゆきち名言です。

ですが実はこの言葉、福沢諭吉のオリジナルではないことをご存知でしょうか。

 

「天は人の上に・・・」は誰が考えたのか

福沢諭吉

出典:Wikipedia

「天は人の上に・・・」は、福沢諭吉が一から作った言葉ではありません。

『学問のすすめ』冒頭を見てみましょう。

福沢諭吉は聞いたことを書いた

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。

最後の「言えり」「と言われている」という意味です。

そこで福沢諭吉は「人間は生まれながらにして平等って言われてるよね」と書いたのであって、

一から生み出した言葉ではないことがわかります。

では福沢諭吉はどこでそれを見た、もしくは聞いたのでしょうか。

アメリカの独立宣言の一節?

その出典は特定されていませんが、

有力だと言われているのがトーマス・ジェファーソンが起草したアメリカの独立宣言です。

その一節にはこうあります。

われわれは、自明の真理として、すべての人は平等に造られ、造物主によって、一定の奪いがたい天賦の権利を付与され、そのなかに生命・自由、および幸福の追求が含まれることを信ずる。

岩波文庫『人権宣言集』

またミルトンの『失楽園』ではないかとも言われてるそうです。

Man over men, He made not Lord

こちらは彼(神)は人の上に君主をつくらないというような意味でしょうか。

 

「門閥制度は親のかたき」

ではなぜ福沢諭吉は、このような考えに行きついたのでしょうか。

それには福沢本人の生い立ちと、福沢の父親にヒントがありそうです。

福沢諭吉は中津藩(現在の大分県中津市)の下級武士の家に生まれました。

武士とはいっても位は低く、貧しい生活を余儀なくされていたのです。

しかし父親の百助ひゃくすけは学問に秀でた人でした。

そこで藩のお金で勉強しようとしましたが、百助は身分が低いことを理由に断られています。

父親が亡くなった時、福沢諭吉はまだ物心のつかない1歳でしたが、

母親から父の苦労を繰り返し聞いていたようです。

門閥制度は親のかたきで御座る

『福翁自伝』

とまで書き残した福沢諭吉ですから、

生まれで上下関係が決まっていた従来の社会は断固として許せなかったようです。

それが「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」に繋がっていったのでしょう。

『学問のすすめ』で伝えたかったこと

さて、福沢諭吉のコンプレックスが凝縮されたような言葉から始まる『学問のすすめ』。

その後に書かれている内容をご存知でしょうか。

「天は人の上に・・・」だけを聞くと、人間は平等なのだ!と言っていると思いがちです。

しかしその後の文章を読んでいくと、どうやら人間は平等ではないようです。

賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとによって出来るものなり。

『学問のすすめ』

人は、生まれながらに、貴賤貧富の別なし。ただ、良く学ぶ者は、貴人となり、富人となり、そして、無学なる者は、貧人となり、下人となる。

『学問のすすめ』

すなわち人間は生まれた時点では平等だけれども、

その後の努力によって差が付くと言いたかったのではないでしょうか。

意外かもしれませんが、福沢諭吉は人を見下した言葉も残しています。笑

福沢諭吉
馬鹿不平多(馬鹿は不平多し)

空樽能鳴(空き樽はよく鳴る)

 

きょうのまとめ

今回は福沢諭吉の名言、

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」にまつわるエピソードついてご紹介しました。

① 「天は人の上に・・・」はアメリカ独立宣言の一節が元ネタらしい

② 福沢諭吉は従来の身分社会が許せなかった

③ 生まれたときは人間みな平等であるが、努力で差は付いてくると言いたかった

といえるのではないでしょうか。

こちらのサイトでは、他にも福沢諭吉に関する記事をわかりやすく書いています。

ご興味をお持ちの方は、ぜひご覧になってくださいね!
 
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