福沢諭吉の出身地は中津藩ではなく大坂だった

 

福沢諭吉は1835年、中津藩(現在の大分県中津市)の下級武士の子として生まれました。

ですが、実は福沢諭吉の出身地は大坂だったのです。

大坂は福沢諭吉の人生に大きな影響を与えた土地といっても過言ではありません。

そこで今回は、福沢諭吉と大坂についてご紹介していきます。
 

福沢諭吉は大坂生まれ

福沢諭吉は中津藩の下級武士・福沢百助(ひゃくすけ)の子です。

諭吉が生まれた当時、父親は中津藩の大坂蔵屋敷(現在の大阪市福島区)に勤めていました。

そこで諭吉の父親は、中津から送られてくる米を管理して販売するという仕事をしていたのです。

ということで、意外ですが福沢諭吉は大坂生まれだったのですね。

なお、現在のオオサカは大阪と書きますが、かつては大坂と書いていました。

大「 坂」 から大「 阪 」へと変わったのは明治維新後(1868年以降)のことなので、

福沢諭吉が生まれた頃はまだ大坂だったということですね。

決して間違えて書いているのではありません。念のため。笑

学問に励んだ大坂

福沢諭吉はわずか1歳で父親を亡くします。

この時、父親の百助はまだ44歳という若さでした。

そして家族は中津へと帰ることになりますが、

勉強が好きな子どもに育った諭吉は再び大坂へと戻ることになりました。

適塾に通う

当時の大坂は江戸や長崎と並び、蘭学(らんがく)※が盛んな土地。

学問好きな諭吉が勉強に励むには、うってつけの場所でした。

蘭学とはオランダの学問で、当時鎖国をしていた日本では最新の知識でした

そして、当時の大坂で一番有名だった蘭学者に、緒方洪庵(おがた・こうあん)という人がいました。

その緒方洪庵が開いていた蘭学塾を適塾(正式には適々斎塾/てきてきさいじゅく)といい、

大村益次郎や橋本左内※といった優秀な人材を輩出しています。

大村益次郎は陸軍の創立者としても有名な幕末の兵学者、橋本左内は幕末の志士で、西郷隆盛らと交遊したことでも有名な人物です

福沢諭吉もこの適塾で学び、22歳のときには史上最年少で塾頭(一番優秀な学生)にのぼりつめました。

多くの秀才が集まって来たこの塾で一番を取ることは、非常に難しいことです。

諭吉は安政5年(1858年)、中津藩から江戸への出府命令が届くまで、大坂の地で過ごすことになります。

緒方洪庵と福沢諭吉

さて、福沢諭吉は、緒方洪庵という人物に相当惚れ込んでいたことでも知られています。

まず緒方洪庵と福沢諭吉は、生い立ちがそっくりです。

緒方洪庵は足守(あしもり)藩(現在の岡山県岡山市)という小さな藩の下級武士出身、

貧しくても一生懸命に勉強して身を立てた人物でした。

さらに緒方洪庵は、学問の面では厳しいものの、普段は塾生に対して非常に優しく接していました。

諭吉が病気で寝込んでいる時も、多忙にもかかわらず、洪庵は毎日のように見舞に来たといいます。

諭吉はそれが嬉しくて布団の中で泣いたそうで、学問だけでなく、人格面においても影響を受けた人物のようです。

緒方洪庵が大量の血を吐いたという知らせを受けた諭吉は、7キロという距離をひたすら走って駆け付けたと言われています。

きょうのまとめ

今回は、福沢諭吉の大坂時代について簡単にご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。

福沢諭吉は、

① 中津藩の下級武士の家に生まれた

② 生まれた当時、父親は大坂で働いていたので大坂出身である

③ 緒方洪庵の適塾で学び、多くの影響を受けた

といえます。

こちらのサイトでは、他にも福沢諭吉に関する記事をわかりやすく書いています。

ご興味をお持ちの方は、ぜひご覧になってくださいね!

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