福島正則と槍 「賤ヶ岳の七本槍」とは?

 

福島正則は実に「 槍 」に縁が深い武将です。

有名な槍を所持していたり、槍が付く名前で呼ばれることが多かったり。

これほど槍に縁深い戦国武将は他に居ないのではないでしょうか?

福島正則と槍の関係、見ていきましょう。

福島正則と槍

福島正則と槍について調べてみました。

日本号(にほんごう)

日本号は、御手杵(おてぎね)蜻蛉切(とんぼきり)と併せて天下三名槍(てんかさんめいそう)と言われています。

穂と言われる刃の長さは二尺六寸一分五厘(79.2センチ)もあります。

拵(こしら)えを含めると全長十尺六分余(321.5センチ)、

総重量は2.8キロにもなります。

無銘ながらも、元々は天皇家の所有物でした。

正三位の位を賜ったという伝説から、「 槍に三位の位あり 」と言われた名槍です。

現存する大身槍(おおみやり)の中では、最高傑作と言われています。

大身槍:槍の一種で、日本独自の進化を遂げた槍。 穂先が一尺(30.3cm)以上のもの

日本号は、正親町天皇(おおぎまちてんのう)より室町幕府の将軍であった足利義昭に贈られました。

その後、織田信長へ、さらに豊臣秀吉へと渡り、秀吉から福島正則へ贈られました。

正則は日本号をとても大切にしていましたが、酒の席での失敗で黒田長政の家臣・母里友信(もりとものぶ)に日本号を譲ることになってしまいます。

今も昔もお酒の失敗は怖いですね。

秀吉の一番槍

正則はその猪突猛進な戦いぶりから「 秀吉の一番槍 」と言われました。

織田信長を討った明智光秀と戦った山崎の戦いでは、勝龍寺城(しょうりゅうじじょう)の攻略に功績をあげました。

柴田勝家との賤ヶ岳(しずがだけ)の戦いでは、一番槍で一番首という大手柄をあげます。

一番槍とは、合戦で一番最初に敵と槍を合わせることを言います。

先陣を切って敵に突撃するわけですから、かなり勇気がいりますよね。

一番首は、最初に敵の首を討ち取ることです。

一番首に敵の位は関係なく、どんな相手を討ち取ったとしても大手柄なのです。

しかも正則が討ち取った相手は、拝郷家嘉(はいごういえよし)と言う城持ちの将だったのですから、とんでもない大手柄です。

まさに「 秀吉の一番槍 」の名に相応しい活躍ですね。

賤ヶ岳の七本槍

賤ヶ岳の七本槍、これもまた正則のことを指す呼び名です。

秀吉の一番槍に続き、またもや「 槍 」が入ってきますね。

賤ヶ岳の戦いで功績をあげた7人のことで、正則も当然入っています。

賤ヶ岳の七本槍
福島正則
脇坂安治(わきざかやすはる)
片桐且元(かたぎりかつもと)
平野長泰(ひらのながやす)
加藤清正(かとうきよまさ)
糟屋武則(かすやたけのり)
加藤嘉明(かとうよしあき) 

平民出身のため譜代(ふだい)の家臣を持たなかった秀吉が、

自分の子飼いの武将たちを宣伝するために作った語呂合わせではないか、

とも言われていますが、正則たちが功績をあげたのは事実です。

きょうのまとめ

福島正則と「 槍 」について見てきましたが、いかがでしたか?

一人の人物にこれだけ槍の逸話があるなんて凄いと思いませんか。

正則と槍は切っても切れない縁で結ばれているんですね。










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