スペイン王・フェリペ2世とイングランド女王・エリザベス1世の関係は?

 

16世紀の大航海時代、世界各地に領土を広げたスペインイングランド

その二か国で最も有名と言える王がスペインのフェリペ2世とイングランドのエリザベス1世です。

6歳差の二人はほぼ同時期に即位し、スペインとイングランドを大国に押し上げました。

ヨーロッパで隆盛を誇ったスペインとイングランドの王と女王は、仲が良かったのか、それとも悪かったのか。

フェリペ2世とエリザベス1世、二人の関係をご紹介します。

 

求婚したフェリペ2世と拒絶したエリザベス1世

フェリペ2世は、王太子時代に、ポルトガル王女マリア・マヌエラと結婚しました。

2人は同い年で、いとこ同士でした。

1545年に長男ドン・カルロスが生まれますが、同年にマリアは死去しました。

マリアが死去した後、1554年に、フェリペ2世はイングランド王国の女王メアリー1世と結婚します。

メアリー1世はエリザベス1世の異母姉です。政略結婚で、11歳年上のメアリー1世とは性格が合わなかったそうです。

結婚から2年後にフェリペ2世は即位のためスペインに帰国。

1年半後に3ヶ月ほどロンドンを訪れましたがその後は別居状態となりました。

別居後から二人は会うこともなく、1558年にメアリー1世は死去しました。

2番目の妻・メアリー1世は、卵巣腫瘍を患っていて健康状態がよくありませんでした。

また、国内政治、外交でも行き詰っており、メアリー1世への不満がイングランドでは高まっていました。

フェリペ2世は、メアリー1世の死去する前から、異母妹のエリザベスに接触するようになります。

メアリー1世のあとは、唯一の王位継承権を持つエリザベスがイングランド女王になるからです。

フェリペ1世はエリザベスと結婚してイングランドを支配下におきたかったのです。

メアリー1世の死後、すぐにフェリペ2世はエリザベスに求婚します。

しかし、エリザベスはこの求婚をあっさりと断りました。

フェリペ2世は、生涯で4度、結婚しています。

メアリー1世の死から1年後の1559年、フランス王アンリ2世の長女エリザベート・ド・ヴァロワと結婚し、9年の結婚生活で2人の王女をもうけています。

そしてエリザベートの死後すぐにオーストリア・ハプスブルク家のアナ・デ・アウストリアと結婚し、4男1女をもうけました(息子の1人、フェリペ3世以外は幼い頃に死亡)。

一方のイングランド女王・エリザベス1世は生涯独身を貫いて「ザ・ヴァージン・クイーン」と呼ばれました。

 

即位したあとのフェリペ2世とエリザベス1世

1856年に28歳で即位したフェリペ2世の治世下でスペインはポルトガルやイタリア領を併合し、全盛期を迎えます。

また、ブラジルやアフリカ大陸の南西部、フィリピン、インドの西海岸、マラッカ、ボルネオ島も支配下におき、スペインは「太陽の沈まぬ国」と言われました。

また、フェリペ2世はポトシ銀山(ボリビア)などで奴隷をただで働かせて、銀を大量にヨーロッパに持ち込み莫大な利益を得ていました。

1571年には、オスマン・トルコの海軍をレパントの戦いで撃退し、地中海の覇権を握ります。

1559年に25歳で即位したエリザベス1世は、イングランドを強国にするべく力を尽くします。

大国スペインに対し、当時のイングランド中堅国でした。まず、お金がかかる戦争は極力回避。自分が独身であることを利用し、他国の王に結婚をちらつかせてイングランドを攻めづらくします。

そして、メアリー1世のもとでカトリックに転じていたイングランドを再び国教会に転換し、王権強化を図ります。

また、イングランドの羊毛産業の発展を促し、国力を上げます。

 

フェリペ2世とエリザベス1世の攻防

エリザベス1世の治世下で、徐々に力をつけていくイングランドは、スペインを水面下で強かに攻撃します。

フェリペ2世がネーデルランド(オランダ)の新教徒に対して、カトリック信仰を強要したことで、1568年からオランダ独立戦争が始まっていました。

これに目をつけたエリザベス1世は、ネーデルランドを支援し、スペインの力を削ぎます。

また、エリザベス1世は海賊行為を奨励します。

フランシス・ドレイクに命じて、スペイン船から積み荷を奪い、利益を得ます。

ドレイクは後に貴族の称号「サー」を与えられて、市長や国会議員にもなります。

こうしたエリザベス1世の攻撃に業を煮やしたフェリペ2世は、1588年に130隻の無敵艦隊(アマルダ)をイングランドに派遣します。

しかし、エリザベス1世お抱えの海賊たち率いる小回りの利く船が、スペインの無敵艦隊をドーバー海峡で撃破しました。

大国スペインにイングランドが勝利したこの戦いは、アマルダの海戦と呼ばれています。

アマルダの海戦で、大国スペインを倒したイングランドは国際社会での存在感を増し、後の大英帝国の礎を築きました。

イングランドは、アメリカ大陸やインドなどにも進出。

エリザベス1世が死ぬ3年前に、東インド会社を設立し、貿易の拠点としました。

一方、アマルダの海戦で大敗したスペインは、オランダ独立戦争での莫大な出費なども重なって徐々に国力が衰えていきます。

そして、1598年にフェリペ2世は死去、その5年後の1603年にエリザベス1世はこの世を去りました。

 

きょうのまとめ

フェリペ2世とエリザベス1世の関係を見てきました。

まとめると、下のようになります。

① フェリペ2世の求婚をエリザベス1世は拒絶した

② フェリペ2世はスペインを、エリザベス1世はイングランドをそれぞれ強国に押し上げた

③ アマルダの海戦ではエリザベス1世が勝利。スペインは徐々に衰退しイングランドは大英帝国の礎を築いた

結婚していた可能性もあったフェリペ2世とエリザベス1世。

6歳年上で、王としても先に即位して先輩であったフェリペ2世を、エリザベス1世は後年、アマルダの海戦で見事に打ち負かしました。

フェリペ2世に油断があったのか、エリザベス1世が強かだったのか、その両方だったのかもしれませんね。

 

フェリペ2世の年表を含む【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
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