福島正則の居城とした城の数々

 

福島正則(ふくしままさのり)は実にたくさんの城を転々としました。

豊臣秀吉に信頼され、あちこちを転戦した結果でしょうか。

こう言われると、どんなお城を転々としたのか気になりますよね?

正則が居城としたお城をまとめてみましたので、一緒に見ていきましょう。

福島正則が居城とした城

福島正則が暮らした城は順に、播磨竜野城 → 伊予湯月(湯築)城 → 伊予府中城 →

尾張清洲城 → 安芸広島城です。

その中でも正則が多くを過ごした城にスポットを当ててご紹介します。

播磨龍野城(はりまたつのじょう)

播磨国、現在の兵庫県にある龍野城は福島正則が初めて城主となった城です。

1499年に赤松村秀(あかまつむらひで)によって築城されました。

播磨を平定した豊臣秀吉の手に渡り、蜂須賀正勝(はちすかまさかつ)が城主となりますが、正勝が隠遁(いんとん)すると、福島正則が城主となります。

鶏籠山(けいろうざん)に本丸が置かれていましたが、江戸時代になってから、鶏籠山の本丸は破棄され麓(ふもと)に移され平城となりました。

正則の時代にはまだ鶏籠山に本丸があったので、正則が生活した龍野城は山城ということになります。

現在では石垣のみが残っており、麓には御殿・武具櫓(ぶぐやぐら)・隅櫓(すみやぐら)・埋門(うずみもん)が再建されています。

尾張清洲城(おわりきよすじょう)

龍野城で2年を過ごした正則は、九州平定での功により伊予湯月城(いよゆづきじょう)の城主となり11万3200石の大名へと成長します。

すぐに伊予府中城に居城を移してしまうので、湯月城は廃城となります。

そして次に城主となったのが清洲城です。

豊臣秀治(とよとみひでつぐ)が秀吉へ謀反を企てたとして断罪され、城主不在となった清洲城を任されたのが正則だったのです。

清洲城の城主になったことで、24万石となり、羽柴(はしば)姓を与えられます。

正則は、名実共に豊臣政権の重臣となったのです。

安芸広島城(あきひろしまじょう)

広島城は正則が一番長く暮らした城です。

しかし正則にとっては、因縁深い城でしょう。

台風の被害にあった城を勝手に修繕したことが、武家諸法度に違反するとして信州高野井藩に改易されてしまいます。

正則の改易に関しては、幕府の陰謀説など様々な説がありますが、幕府に対して隙を作ってしまったのは確かでしょう。

太平洋戦争による広島への原爆投下で広島城は倒壊してしまったため、

現在の天守や櫓はすべて昭和になってから再建されたものですが、

堀と石垣は、当時の姿をそのまま残しています。

原爆投下にも耐え抜いた石垣、機会があったらぜひ見てみてください。

まとめ

福島正則の居城についてまとめてみましたが、いかがでしたか?

正則は桶屋(おけや)の長男として生まれたとも、

養子として福島家に入ったとも言われています。

城持ち大名の子息と言うわけではないので、当然城で生まれたわけではありません。

そんな正則が城主として数々の城を転々とし、最後は改易され城ではなく屋敷で生涯を終えました。

そう考えるとなんだか感慨深いですね。










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