豊臣恩顧の武将でありながら、関ヶ原の戦いで東軍に味方し、
広島藩49万8000石の大名になった戦国武将が福島正則です。
しかし台風の被害にあった城を無断で修繕したことが、
武家諸法度(ぶけしょはっと)に違反しているとされ、
信濃国高井野藩(たかいのはん)4万5000石に減転封されます。
家督を譲った嫡男の忠勝も早くに亡くなり、正則の晩年は寂しいものとなってしまいました。
享年64歳で亡くなった正則のお墓はどこにあるのでしょうか。
実は1箇所だけではない、正則のお墓を調べてみました。
福島正則のお墓はどこ?
福島正則のお墓はどこにあるのでしょうか。
お墓がある場所をご紹介します。
長野県・岩松院(がんしょういん)

福島正則は亡くなったのち、長野県小布施市にある岩松院に葬られました。
戒名(かいみょう)は、「 海福寺殿前三品相公月翁正院居士 」
遺体が葬られた場所というなら、ここが墓所と言えるでしょう。
墓所は福島正則公霊廟(れいびょう)と呼ばれ、岩松院の中にひっそりと佇んでいます。
49万石の大名の面影を見ることは出来ません。
正則の墓は高さ1.5メートルの石の五輪の塔で、台座となる石には戒名が彫られています。
正則とは関係ありませんが、岩松院は葛飾北斎(かつしかほくさい)の絵画があることでも有名です。
本堂の天井を飾る「 八方睨み鳳凰図 」は北斎が89歳のときに書いた晩年の最高傑作と言われています。
東京都・正覚院(しょうかくいん)

正覚院は東京都港区にある臨済宗妙心寺派のお寺です。
幕府の検死役が到着する前に、正則の遺体を火葬したことを咎められ、
大名家としての福島家がお取り潰しになったあと、旗本として存続を許された正則の子・正利(まさとし)が開いたお寺です。
正覚院とは正利の戒名でもあるのです。
正利と正則のお墓が仲良く並んで建てられています。
このお寺にあるお墓は、正確には正則を供養するために建てられた
供養墓というもので本当のお墓ではありません。
しかし、親子で並べて正則も喜んでいるのではないでしょうか。
愛知県・菊泉院(きくせんいん)

菊泉院は愛知県あま市にある曹洞宗のお寺です。
正則の菩提寺として有名です。
お寺のすぐ南側には「 福島正則誕生の地 」があります。
正則が清洲城の城主になった時には、50石の領地が与えられるなど、厚い待遇を受けました。
正則が亡くなってから、家臣によって位牌と護持仏(ごじぼとけ)である毘沙門天立像(びしゃもんてんりつぞう)が奉納されました。
他にも甲冑姿の正則の肖像画も納められており、
正則にとっては縁のお寺です。
きょうのまとめ
福島正則のお墓についてご紹介しましたが、いかがでしたか?
生まれ育った場所から遠く離れた長野にお墓があると思うと、
少し寂しい気もしますね。
お墓はこの他にも、京都や和歌山、広島にもあります。
正則を慕う人たちがゆかりの場所に建てたのだと思うと、
正則は慕われていたのでしょうね。
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